楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

熊野那智大社・青岸渡寺 那智勝浦 御朱印めぐり
地域:

熊野那智大社・青岸渡寺・補陀落山寺・阿弥陀寺 那智勝浦 御朱印めぐり

 

熊野三山とは、本宮(熊野本宮大社)・新宮(熊野速玉神社)・那智(熊野那智大社)の三社のことをいい、
その参拝道の総称を熊野古道と言います。

熊野三山の信仰は、平安時代から江戸末期にかけて盛んで、上皇から庶民にいたるまで、熊野古道には旅人の
切れ目がなく行列ができた様子から「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの人々が熊野に参詣したということです。

この記事では、那智勝浦町にある熊野那智大社、青岸渡寺、補陀落山寺、阿弥陀寺をめぐる御朱印めぐりを紹介
しています。

 

 

熊野那智大社

 

熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は和歌山県那智勝浦町にある神社です。主祭神は、熊野夫須美大神
(くまのふすみのおおかみ)になります。

那智の海岸から那智大社に向かい上り坂がきつくなり始める所に、大門坂の駐車場があります。ここに車を
止め、石畳の熊野古道、大門坂を徒歩で登り切ったところに、熊野那智大社が鎮座します。大門坂自体は
600メートルほどの階段、那智大社へは、さらに土産物屋などが並ぶ参道の階段を400メートルほど
登っていきます。駐車場は、大門坂の上にもありますから、階段がきつい方は、上まで車で行く方がよい
と思いますが、大門坂の石段(写真下)は一度歩いてみたい、とっておきの熊野古道のように思います。

 

 

 

 

熊野那智大社のご由緒によりますと、「神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸されたとき、那智の山が
光輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その守護のもとは、八咫烏の導き
によって無事大和へお入りになった」ということです。

また「那智大瀧」を、この熊野の地に住む人々も神武天皇の東征以前からすでに神として奉祀されていたと
も伝えられています。いずれにしても古代からこの大瀧を「神」としてあがめていたことは確かなようです。

そして社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地に移されたのは仁徳天皇五年(317年)
と伝えられています。

 

 

 

 

下の写真は拝殿になります。

 

 

 

 

 

 

拝殿に向かい左手には、八咫烏を祀る御縣彦社(みあがたひこしゃ)があり、こちらの御朱印もいただくことができます。

 

 

 

 

 

 

熊野那智大社別宮 飛瀧神社

 

 

大滝(那智の滝)の下には現在、「熊野那智大社別宮飛瀧神社」が鎮座していますが、神社とはいっても本殿も
拝殿もなく、滝を直接拝む形になります。社殿がないことからもはっきりとこの大滝が御神体であることをしら
せてくれます。かつての熊野の自然崇拝の有り様を今に伝えている神社のひとつと思います。

 

 

 

 

ここでは、大滝まで階段を下り参拝、延命長寿のお滝水を拝飲し、御朱印をいただいてきました。

 

 

 

 

下の写真は、那智の滝になります。

 

 

 

 

 

那智山 青岸渡寺

 

 

熊野那智大社と軒を並べているのが天台宗の寺院、本尊を如意輪観世音菩薩とする那智山青岸渡寺です。

 

 

 

 

かつての那智は神社と仏寺とに分離できるようなものではありませんでした。神と仏は渾然一体とし、区別できな
かったそうです。明治の神仏分離令は、もともと一体であった神仏習合の霊地に、神か仏かのどちらか片方を選択
するように命じました。本宮も新宮も神を選び、仏を捨て、寺院は取り壊されました。

那智でも、神を選び、廃仏毀釈を行い、多くの仏寺が取り壊されたようですが、本堂であった如意輪堂は、西国
三十三所霊場の第一番札所でもあり
、さすがに明治政府も取り壊しはしなかったようです。なお青岸渡寺の創建は、
仏教伝来以前の仁徳天皇の御代(313~399)にインドから熊野に漂着した裸形上人による伝えられています。

 

 

 

 

いただいた御朱印には、『普照殿』と書かれています。 「観音様のご慈悲があまねく照らされますように」と
いうことかと思います。

 

 

 

 

またあわせて、御詠歌の御朱印もいただくことができます。

 

 

 

 

 

那智の滝をバックにした三重塔は、那智でも最高の写真スポットになっています。

 

 

 

三重塔においても、御朱印をいただくことができます。いただいた御朱印には、「円通殿」と書かれていました。

 

 

 

 

 

阿弥陀寺

 

 

阿弥陀寺(あみだじ)は、青岸渡寺から車で10分ほどの那智山の一角、妙法山の中腹にある真言宗御室派の寺院です。
山号は妙法山、本尊は阿弥陀如来になります。

黄泉の国( よみのくに)への入り口として古来より信仰を集めているお寺です。

 

 

 

 

 

 

寺の由緒によりますと、創建は大宝三年(703)、唐からこられた蓮寂上人という方が、熊野にたどり着き、上人は四方を見渡せるこの山で修行をすることにしたそうです。そして“妙法蓮華経”を写経して山頂に埋め、立っている木をそのまま彫ってお釈迦様の仏像を安置したそうです。その時から、この山は、お経の名前をとって妙法山と呼ばれるようになったそうです。

本堂から800メートルほど登った妙法山の山頂には、“奥ノ院浄土堂”が建っていて、立木をそのまま彫ったお釈迦様の仏像が安置されているそうです。

 

本堂は、昭和56年に火災に遭い、その後再建されたものになります。

 

 

 

 

いただいた御朱印には、「熊野妙法山」と書かれていました。

 

 

 

 

 

補陀洛山寺

 

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、那智駅から徒歩5分ほどの那智勝浦町浜の宮にある、天台宗の寺院です。
山号は熊野山、本尊は十一面千手観音になります。

仁徳天皇の御代に、インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開かれた寺になるようです。

 

 

 

 

寺号にある“補陀落”とは、サンスクリット語の“観音浄土”を意味する「ポータラカ」の音訳になるそうで、
“華厳経”で、インドの南端に位置するとされています。

平安時代から江戸時代にかけて、日本では、遥か南洋上に“補陀洛”が存在すると信じられ、「補陀洛渡海」と
称して、小船で那智の浜から補陀落山に向けて旅立っていったそうです。その数は、延べ25人にもなるそうです。

境内には渡海船が展示されています。船上に造られた屋形には扉が無く、屋形に人が入ると、出入り口に板が
嵌め込まれ外から釘が打たれ固定してもらったうえで、旅立っていったそうです。

 

 

 

 

いただいた御朱印には、「円通殿」と書かれていました。

 

 

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