楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

熊野本宮大社・熊野速玉大社 御朱印めぐり
地域:

熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野本宮・熊野速玉大社・神倉神社・東光寺 御朱印めぐり

 

 

熊野三山とは、本宮(熊野本宮大社)・新宮(熊野速玉神社)・那智(熊野那智大社)の三社のことをいい、
その参拝道の総称を熊野古道と言います。

熊野三山の信仰は、平安時代から江戸末期にかけて盛んで、上皇から庶民にいたるまで、熊野古道には旅人の
切れ目がなく行列ができた様子から「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの人々が熊野に参詣したということです。

この記事では、熊野本宮大社から熊野速玉大社までの御朱印めぐりを紹介しています。

 

 

熊野本宮大社

 

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は、 和歌山県田辺市本宮町にある神社です。

祭神は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二
柱の神々ですが、主祭神は、素戔嗚尊の別名とも言われる“家都美御子大神”(けつみみこのおおかみ)になります。

 

 

 

 

熊野本宮大社は熊野三山の中心で、全国に3000社以上あると言われる熊野神社の総本宮になります。
熊野三山では、八咫烏(やたがらす)が目を引きます。
八咫烏は熊野権現の使いで三本足の烏です。九州から大和に入る神武天皇を先導したという言い伝えがあり、
日本サッカー協会のシンボルマークとしてお馴染みと思います。
サッカー協会は、きっと金メダルへの先導役をお願いしているのではと思います。

 

 

 

鳥居をくぐり、杉木立のなかを進む参道には「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ちならんでいます。

 

 

 

158段の石段を登りきると、正面に神門があり、向かって左手のほうには真新しい社殿が見えてきます。神門をくぐると、
檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿、第三殿、第四殿と3棟並んでいます。

 

 

 

 

 

 

本宮大社は、古来から明治二十二年(1889)8月の水害時まで、熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある
大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありました。今は、写真のように大きな鳥居がその名残をとどめています。
千数百年続いた地を明治なって立ち退くことになったことを不思議に思い調べましたが、どうもその原因は、上流におけ
る森林伐採にあるようです。自然破壊、環境破壊に対する思いを新たにした旅でした。

 

 

 

 

熊野古道 大日峠越え

 

大斎原の本宮跡地(写真下)からは、大日山を越えて、湯の峰温泉に向かう熊野古道「大日越」が続いています。

 

 

 

 

距離は2キロほどと短いですが、上り下りが急で結構な難所、足腰に不安のある方には厳しいかもしれませんが、
80歳前後の方々も杖を片手に、一歩一歩、また一歩と登られておりました。

とくに、登り口から月見岡神社、峠の鼻欠け地蔵までの登りは、これでもかこれでもかというように階段が続く
試練の古道でしたが、その分、達成感を満喫できたように思います。私の方は、本宮大社側から湯の峰温泉に向
かいましたが、湯の峰温泉から本宮に向かうことも可能で、こちらの登りは木の根道、階段は少ないようですの
で、こちらの方が少し楽かもしれません?

 

 

 

 

到着地、湯の峰温泉は、日本最古の温泉だそうです。源泉である“湯筒”の少し上流に小さな小屋が見えますが、
その小屋のなかに“つぼ湯”があります。
ふたり入ったらいっぱいの小さな、その名の通り、壺のような岩風呂だそうです。休日には順番待ちもできる
ほどのにぎわいということです。

 

 

 

 

 

東光寺

 

東光寺(とうこうじ)は、湯の峰温泉の中心地にある天台宗の寺院です。山号は薬王山、本尊は薬師如来になります。

開創は天仁元年(1108)、温泉成分である湯の花が沈着し薬師如来坐像のようになったものを裸形上人が見出し、これ
を本尊にしたといわれています。

 

 

 

 

 

 

この像には、胸に小さな開口部があって、かつては開口部から温泉が湧出していたため、「湯の胸温泉」と呼ばれていて、
それが現在の「湯の峰温泉」の名になったとされています。

いただいた御朱印には、「湯胸薬師」と書かれていました。

 

 

 

 

 

熊野速玉大社

 

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、本宮から熊野川沿いを車で40分ほど下った和歌山県新宮市新宮にある
朱塗りの社殿があでやかな神社です。 主祭神は、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神
(くまのふすみのおおかみ)になります。

 

 

 

 

 

 

鈴木氏が代々神職を務めた神社で、このあたりは全国一多いと言われる鈴木姓の発祥の地とも言われています。
ちなみにヤタ烏の三本足の真ん中の足は、熊野の豪族“鈴木”氏になるようです。

参道にある“なぎの樹”(写真下)は、清盛の嫡男、平重盛の手植えと言われ、樹齢1000年、日本では最大の
なぎの樹ということです。またなぎは熊野権現の御神木になっています。境内では、なぎの苗木も売られていました。

 

 

 

 

参道を進むと、朱塗りの神門が見えてきます。

 

 

 

 

神門のなかに入ると、朱塗りの瑞垣。その向こうにやはり朱塗りあでやかな社殿が横に5棟並んでいます。
まだまだ真新しく見える社殿は昭和に再建されたものだそうです。

 

 

 

 

 

 

神倉神社

 

熊野速玉大社の摂社の一つになる神倉神社(かみくらじんじゃ)は、速玉神社から徒歩15分ほどの新宮市神倉にあります。

神倉神社は、熊野大神が、熊野三山として祀られる以前に最初に降臨された地になるそうです。

 

 

 

 

朱塗りの鳥居から、かなり険しい登り坂の参道になります。

 

 

 

 

 

天ノ磐盾という峻崖の上に建ち、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の自然石の石段(写真上)を登りつめた
所に御神体の「ゴトビキ岩」(写真下)があります。

 

 

 

 

 

なお御朱印は、速玉神社の方でいただくことになります。

 

 

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