楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

奈良市南部 大安寺・正暦寺・弘仁寺・帯解寺 御朱印めぐり
地域:

大安寺・正暦寺・弘仁寺・帯解寺 御朱印めぐり    

 

この記事では、大安寺、正暦寺、弘仁寺、帯解寺をめぐる奈良市南部の御朱印めぐりを紹介しています。

 

大安寺  

 

大安寺は、奈良市大安寺にある高野山真言宗の寺院です。開基は聖徳太子と言われ、本尊は十一面観音になります。

 

 

大安寺の起源は聖徳太子が建てた熊凝精舎になるようで、太子は熊凝精舎を本格的な寺院にすべきことを告げて、

亡くなったそうです。 飛鳥時代、現在の大和郡山の地にあった熊凝精舎から移転や改称を繰り返し、百済大寺、

大官大寺となり、奈良時代に現在の地に移り大安寺となったようです

奈良時代の大安寺は、東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍が整備され、東大寺、興福寺と並ぶ南都の大寺で

あったそうです。   下の写真は、東塔跡になります。

 

 

本堂には、本尊の十一面観音立像(重要文化財)が安置されています。

 

 

いただいた御朱印は、3つです。 まずは、基本になる「南無佛」の御朱印です。

 

 

二つ目は、開基になる聖徳太子が起源の熊凝精舎を本格的寺院にすることを願ったことを伝える

「太子遺願之大寺」の御朱印です。

 

 

三つ目は、嘶堂(写真下中央)に安置されている「馬頭観音」の御朱印です。

 

 

 

 

正暦寺  

 

正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良市菩提山町にある真言宗の寺院です。山号は菩提山、本尊は薬師如来になります。

 

 

正暦寺一帯は、紅葉の名所として知られ、「錦の里」と呼ばれているそうです。

 

 

創建は正暦三年(992)、一条天皇の発願により、兼俊僧正によって創建された寺だそうです。創建当初は、

86坊の子院が立ち並ぶ大寺であったそうですが、いくつかの変遷を経て現在に至っているそうです。

現在の本堂は、大正五年に再建されたものです。

 

 

福寿院は、延宝九年(1681)の建立で、国の重要文化財になっています。福寿院には、県指定の重要文化財、
孔雀明王像が安置されています。 福寿院の庭は、自然を借景とした庭で知られています。

いただいた御朱印は二つです。一つは、本尊の「薬師如来」になります。

二つ目は福寿院の御朱印、「大孔雀王」になります。

弘仁寺  

弘仁寺は、奈良市虚空蔵町にある高野山真言宗の寺院です。山号は虚空蔵山、本尊は虚空蔵菩薩になります。
毎年4月13日、十三歳の厄を祓い、虚空蔵菩薩から知恵を授かる「十三詣り」の寺として古くから信仰を集めています。

 

寺の由緒によりますと、創建は弘仁五年(815)、嵯峨天皇が夢に出た地を探し当てて創建したという説と807年に

弘法大師が霊山として開基した説と二つが伝わっているそうです。 戦国時代に兵火などで衰退しましたが、江戸時代

の初めに宗全によって再興されたそうです。

 

本尊である木造虚空蔵菩薩像を安置する本堂(写真下)は、県の文化財になっています。

 

 

いただいた御朱印には、本尊になる「虚空蔵尊」と書かれていました。

 

 

 

帯解寺

 

帯解寺は、JR桜井線の帯解駅から徒歩5分の奈良市今市町にある安産祈願の寺として知られる華厳宗の寺院です。

山号は子安山、本尊は地蔵菩薩になります。

 

 

寺の縁起によりますと、弘法大師の師である勤操大徳の開基による巖渕千坊の一院で霊松庵が始まりになるそうです。

そして、今から約1100年前、文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれなかった折、春日明神の

お告げによって、帯解子安地蔵菩薩にお祈りされたところ、まもなく御懐妊、惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産

されたことに文徳天皇がお喜びになり、天安二年(858)、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と寺号を授け

られたそうです。以来、安産・子授け祈願の寺として広く篤い信仰を集めるようになったそうです。  

本堂には、重要文化財に指定されている本尊の木造地蔵菩薩半跏像が安置されています。

 

 

いただいた御朱印には、「帯解子安地蔵尊」と書かれていました。

 

 

帯解寺の境内には、小野小町を祀る「小町の宮」(写真下)があります。帯解寺は奈良盆地を南北に貫いた古代

の幹線「上街道」のそばにあり、小野小町は六歌仙」の1人、僧正遍昭に会うため、現在の天理市にあった石上寺

までこの街道を往復したと伝えられ、帯解寺にも立ち寄ったと伝わっています。

帯解寺では、毎年4月24日に「小野小町忌法要」が営まれています。

 

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