楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

秩父三十四ヶ所観音霊場 御朱印めぐり

秩父三十四ヶ所観音霊場 一番四萬部寺、四番金昌寺、三十一番観音院、三十四番水潜寺 御朱印めぐり  

 

秩父三十四ヶ所観音霊場は、埼玉県秩父市・秩父郡横瀬町・秩父郡皆野町・秩父郡小鹿野町に点在する
34の観音様を祀る寺院で、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所とともに日本百番観音に数えられています。
秩父札所のおこりは、鎌倉時代初期の文暦元年(1234)と伝えられ、江戸時代になると観音信仰は庶民の
間に広がっていったようです。
秩父霊場巡りは、一番四萬部寺から三十四番水潜寺まで、およそ100キロの行程がありますが、この記事
では一番四萬部寺、四番金昌寺、三十一番観音院、三十四番水潜寺の秩父4寺札所めぐりを紹介しています。

一番 四萬部寺

四萬部寺は、秩父市栃谷にある曹洞宗の寺院で、秩父札所巡りの発願の寺になります。
山号は誦経山、本尊は聖観世音菩薩です。

四萬部寺は行基が開き、その後、寛弘四年(1007)に性空上人の弟子の幻通により法華経四万部の
経塚(写真下)が立てられたといわれ、これが寺名の由来にもなっています。

本堂(観音堂)は、元禄十年(1697) の建立になります。

いただいた御朱印には、観音様を祀るお堂「大悲殿」と書かれていました。

四番 金昌寺    

金昌寺は、秩父市山田にある曹洞宗の寺院です。山号は高谷山、本尊は十一面観世音菩薩になります。
大わらじがかかった立派な仁王門から入ります。

境内のいたるところに信者から寄進された石仏が並んでいます。寺内には、五百羅漢をはじめ、
千三百十九余体の石仏があるそうです。

本堂は、江戸中期に建立されたものになります。

本堂の回廊右手には、膝に抱く赤子に豊かな乳房を含ませようとする「マリア観音」とも呼ばれている
「子育て観音」があります。

いただいた御朱印には、「新木大悲殿」と書かれています。
”新木”とは金昌寺の別名「新木寺」から来ているものと思われます。


三十一番 観音院    

 

観音院は、秩父郡小鹿野町にある曹洞宗の寺院です。山号は鷲窟山、本尊は聖観世音菩薩になります。
創建は鎌倉時代と伝えられています。この地に狩りにやってきた畠山重忠が鷲の巣から行基が彫った
という聖観音像を見つけ、その後この地に観音堂を建て、聖観世音菩薩を安置したのが寺の始まりに
なるようです。 石像としては日本最大といわれる仁王像が安置されている仁王門から急な石段を上っていきます。

 

 

観音堂は、巨岩が覆いかぶさった所にあります。

 

高さ60メートルほどある聖浄の滝の左手の岩場には、弘法大師が一夜にして彫ったと伝えられている
千躰の磨崖仏(写真下)があります。正式には「鷲窟磨崖仏」といい、埼玉県指定文化財になっています。

奥の院へ向かう途中の岩窟にも石仏があり、およそ1万8千体の石仏があるといわれています。

いただいた御朱印には、「聖観世音」と書かれていました。

 

三十四番 水潜寺

 

水潜寺は、秩父郡皆野町にある秩父札所巡りの結願寺になる曹洞宗の寺院です。山号は日沢山、
本尊は千手観世音菩薩になります。 本尊の千手観音と共に、脇侍として西国三十三霊場(西方浄土)
を象徴する阿弥陀如来、坂東三十三霊場を象徴する薬師如来(東方瑠璃光世界)を配していて、
百観音の結願寺として体裁を作っています。

参道には、秩父三十三観音の石仏が並んでいます。

観音堂は文政十一年(1828)の建立になるそうです。
観音堂には、役割を無事終えた笈摺や金剛杖などが収められています。

境内奥には水潜りの岩屋(鍾乳洞)があり、巡礼者はここの清水で身を清めたそうです。

いただいた御朱印には、「千手観世音」と書かれていました。

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