楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

奈良 橿原神宮・壺阪寺・久米寺 御朱印めぐり
地域:

壺阪寺・久米寺・橿原神宮 御朱印めぐり

この記事では、奈良県橿原市にある橿原神宮、そして久米寺、また橿原神宮から近鉄吉野線で
3つ目の壺阪山駅からバスで10分、壺阪寺を巡る御朱印めぐりを紹介しています。

橿原神宮

 

 

橿原神宮は、橿原神宮駅の西側、畝傍山(うねびやま)の東麓に位置し、初代天皇である神武天皇
を祀っている神社です。

 

橿原神宮鳥居

 

この地には、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされ、民間有志の請願に感銘を受けた
明治天皇により、明治23年に創建されたものです。

 

下の写真は、南神門になります。

 

橿原神宮神門

 

下の写真は、南神門近くから見た外拝殿と畝傍山になります。

 

橿原神宮畝傍山

 

下の写真は、外拝殿から見た内拝殿、その奥(下)が本殿になります。

 

橿原神宮拝殿

 

橿原神宮本殿

 

厳粛、おごそかな空気漂う境内、凛とした社殿、背筋をピシッと伸ばしての参拝でした。

 

樫原神宮朱印

 

境内の南側には、奈良時代に造成されたという広い深田池が趣を添えていました。

橿原神宮池

久米寺

久米寺は、樫原神宮に隣接した奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺院です。
山号は霊禅山 、本尊は薬師如来になります。

久米寺山門

創建は、推古天皇二年の時に聖徳太子の弟、来目皇子(くめのおうじ)によると伝えられる古寺です。

来目皇子が幼少の頃眼病を患い両目を失明しましたが、薬師如来に祈願したところ平癒したと
言われています。これにより皇子は、自らを「来目皇子」と称したということです。
創建のきっかけも、推古天皇の眼病全快のお礼だったと言われています。

久米寺は、娘のふくらはぎに見とれて空から落ちたという久米仙人の伝説にちなんだ寺としても
知られていて、本堂の横には、久米仙人の像が立っています。

久米仙人

現在の本堂は、江戸時代初期に再建されたものになります。

久米寺本堂

多宝塔は、万治ニ年(1659)に京都の仁和寺から移築されたもので、重要文化財に指定されています。

久米寺多宝塔

いただいた御朱印は、本尊の「薬師如来」と書かれていました。

久米寺朱印

壺阪寺 (南法華寺)

壺阪寺は、近鉄吉野線壺阪山駅カからバスで10分ほど、奈良県高取町にある真言宗系の寺院で
あり、正式名称は南法華寺になります。

壺阪寺入口

山号は壺阪山、本尊は眼病に霊験があるといわれる十一面千手観音菩薩で、西国三十三観音霊場
の第6番札所になります。

寺の縁起によりますと、創建は大宝三年(703)、奈良の元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行
していた時、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んで祀ったのが始まりに
なるそうです。

仁王門は、鎌倉時代、建暦二年(1212)の建立になるそうです。

壺阪寺山門

本堂八角円堂には、本尊の十一面千手観世音菩薩が安置されています。このお堂は、八角形の形
をしていて江戸時代の再建されたものになります。

壺阪寺本堂

本堂に隣接する礼堂は、創建当初から本尊を礼拝するために建てられたものです。
現在の礼堂は室町時代に再建されたものになるそうです。

壺阪寺礼堂

三重塔も礼堂と同じ室町時代の建立で、重要文化財に指定されています。

壺阪寺三重塔

寺域の山の斜面には、インド天竺渡来の高さ20mの白い大観音石像が立っています。また、

その手前には大涅槃石像があります。大観音石像は、インドハンセン病救済事業への尽力の返礼
として、インドから贈られたたものだそうです

 壺阪寺涅槃像

いただいた御朱印には、「普照殿」とかかれていました。観音様の慈悲の光が全てのものを普く
照らしてくれるお堂ということが出来るかと思います。

壺阪寺朱印

本堂の近くには、座頭の沢市とお里が身を投げたが観音様の慈悲の力に救われたという、
「投身の谷」と言い伝えられている谷があり、そこには沢市とお里の仲睦まじい像が立っています。

壺阪寺浄瑠璃像

壷阪寺は、桓武天皇をはじめ、平安の昔から多くの人々に眼病に霊験あらたかな寺として信仰を
集めています。
壷阪寺では、目の健康祈願、眼病封じのお札を御朱印としていただくことが出来ます。
「慈眼光明(じげんこうみょう)」とは観音様のやさしいまなざしを意味し、その光が明るく我々
を照らしてくださるそうです。

壺阪寺眼病封朱印

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