楽しい御朱印めぐり

珍しい御朱印

見開きでいただく御朱印
地域:

御朱印の中には、ダイナミックに2ページを使用し見開きの御朱印を授与してくれる寺社があります。
西国三十三ヵ所観音霊場や坂東三十三ヵ所観音霊場など、巡礼が行われている寺院などで御詠歌が作
られていて、御詠歌が墨字で入った見開きの御朱印をいただける所があります。
そのほかの寺社の中にも、寺社由来の様々なものをモチーフにして、ビジュアルな見開きの御朱印を
いただける所があります。

 

中尊寺 (岩手県)  

 

中尊寺は、岩手県平泉町にある天台宗東北大本山の寺院です。山号は関山、本尊は丈六の釈迦如来になります。

寺の由緒によりますと、創建は嘉祥三年(850)、慈覚大師円仁により開かれたといわれています。
その後、12世紀の初めに、奥州藤原氏初代藤原清衡が、前九年、後三年の役で亡くなった人々の霊を慰め、
また“みちのく”に仏の教えによる理想社会を築かんと大規模な伽藍の造営を行ったそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中尊寺には、中尊寺本堂(写真下)のほか17の子院があり、境内にある様々なお堂で御朱印を
いただくことが出来ます。
 
 
 
 
 
 
その中で見開きの御朱印をいただけるのは、金色堂になります。
金色堂は、天治元年(1124)に建てられたもので、創建当初の姿を今に伝える中尊寺唯一の建物になります。
堂の内外に金箔が押され、「皆金色」の阿弥陀堂で、金色堂を風雨から守るために覆堂で覆われていています。
“金色堂”として写真に写っているのは、この“覆堂”(写真下)になるわけです。
 
 
 
 
 
 
 金色堂内部の須弥壇の上中央には本尊“阿弥陀如来”、そして向かって右に“観音菩薩”そして左に
“勢至菩薩”が並んでいます。 そして、須弥壇の内には、藤原清衡、基衡、秀衡藤原三代のミイラ化
した遺体が安置されています。また源頼朝により滅ぼされた泰衡の首級も納められています。
  いただいた御朱印には、「金色堂」と書かれています。
 
 
 
中尊寺金色堂朱印70
 
 

 

 

鹽竈神社 (宮城県)

 

 
志波彦神社・鹽竈神社(しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ)は、JR仙石線の本塩釜駅から徒歩10分程度
の宮城県塩竈市にある2社が同一法人、同じ境内の小高い丘の「一森山」にある神社で、二社合わせて
「しおがまさま」と尊称されている神社です。

鹽竈神社は、陸奥の国一の宮に列せられる神社で、全国にある鹽竈神社の総本社になります。
鹽竈神社の創建は不詳とのことですが、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)が
陸奥の国を平定した際に両神を先導した鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)がこの地に留まり、現地の
人々に製塩を教えたことに始まると言われています。
祭神には、この塩の神・安産の神と言われる鹽土老翁神、また武神である武甕槌神、経津主神を祀って
いて、広く武運長久、塩業や漁業の守護、家内安全、安産などの神として信仰を集めています。
 
拝殿は元禄十二年(1699)に再建されたもので、重要文化財に指定されています。
拝殿の奥に、左宮本殿・右宮本殿があり、武甕槌神、経津主神が祀られています。

 

 

 
志波彦神社は、鹽竈神社の裏手(北東側)に鎮座している神社です。
多賀城国府に入る交通の要所、冠川の畔に降臨されたと伝えられる“志波彦神”を祀っています。
志波彦神は、農業守護、国土開発、殖産の神として崇敬されているそうです。

社殿は鹽竈神社と違い本殿は黒漆塗り、拝殿(写真下)は朱漆塗りの極彩色になっています。

 

 

志波彦神社・鹽竈神社は、2社合わせて「しおがまさま」、御朱印は一体、見開きで鹽竈神社の方に
ある社務所でいただきました。
「奉拝 陸奥国 一之宮」と書かれていました。

 

 塩釜神社朱印70
 
 

 

今宮神社 (京都府)

 

今宮神社は、京都市北区柴野にある神社です。
社の由緒によりますと、当社地には平安建都以前より疫神(すさのをのみこと)を祀る社が
あったということです。
平安時代、疫病を鎮めるために各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれたそうです。
有名な八坂神社の祭礼“祇園祭”もその一つ、“祇園御霊会”が正式名称になります。

 

 今宮神社1

 

一条天皇の御代の正暦五年(994)、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ当社地の疫神を
二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈ったそうです。
これが“今宮祭”の起源、“紫野御霊会”であり、今宮神社の創建になるそうです。

そしてこの時、京中の老若男女は神輿に供をし船岡山へ登り、綾傘に風流(風流傘)を施し、
囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれます。
これが4月の第2日曜日に行われている“やすらい祭”だそうです。
いただいた見開きの風流な御朱印には、このやすらい祭で使われる“風流傘”が描かれていました。

 

今宮神社

 

 

西芳寺(苔寺)

 

西芳寺は、京都市西京区松尾にある臨済宗のお寺で、庭園に生い茂る苔の見事さから一般には“苔寺”と称されています
山号は洪隠山、本尊は阿弥陀如来になります。
寺伝によりますと、創建は奈良時代で、聖武天皇の勅願により行基が開山になります。
その後、戦乱により荒れ果てましたが、暦応二年(1339)に後醍醐天皇、足利尊
氏の帰依を受けた夢窓疎石により再建されたそうです。

夢窓疎石の作となる枯山水石組みの上段の庭と、心の字を形どる黄金池を中心と
した池泉回遊式の下段の庭から成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、
足利義満をはじめここを訪れて座禅に励んだ人も多いそうです。
足利義政も何度か訪れ、西芳寺と金閣寺を模して創建したのが銀閣寺になるそうです。

 

苔寺3

 

3万50平方メートルに及ぶ庭園は、国の特別名勝及び史跡に指定され、120種類以上に及ぶ
青苔に一面が覆われ、広く“苔寺”の名で親しまれています。

 般若心経の写経をして納めた証としていただいた御朱印は、“達磨”の絵が書かれた見開きの
御朱印でした。西芳寺は臨済宗のお寺、禅宗の開祖である“達磨大師”と中央には、本尊である
“阿弥陀仏”が記されていました。

 

苔寺御朱印

 

 

杉本寺 (神奈川県)

 

杉本寺は、鶴岡八幡宮から東へおよそ1,200メートルの所にある天台宗のお寺です。
杉本寺は、734年に行基が、十一面観音を安置して創建したのに始まりと伝えられています。
“吾妻鏡”によりますと、杉本寺が隣家からの火災により類焼を受けた際、御本尊自ら境内の大杉
の下に火を避けられたことがもとで、杉の本の観音、“杉本観音”と呼ばれるようになったという
ことです。

 

杉本観音5

 

杉本寺は、坂東三十三所観音霊場、第一番札所であり、鎌倉最古の寺院になります。
坂東三十三所観音霊場や西国三十三ヵ所観音霊場など、巡礼が行われている寺院では
御詠歌が作られていて、御詠歌が入った見開きの御朱印をいただける所があります

杉本寺でいただいた御朱印には、観音様のいらっしゃるお堂“十一面大悲殿”と御詠歌
が見開き一枚になっていました。

 

杉本寺御詠歌

 

御詠歌には、『たのみある しるべなりけり 杉本の ちかひはすへの 世にもかわらじ』
と書かれています。「信心の心さえあれば、観音さまが末永く見守ってくれている」という
温かい気持ちになれる御詠歌です。

 

古峰神社 (栃木県)

 

古峯神社は、栃木県鹿沼市古峯(こぶ)ヶ原に鎮座する日本武尊を祭神として祀る神社です。
社の由緒によりますと、今から1300余ほど前、藤原隼人という方が京都からこの地に移り、
日本武尊の威徳を慕いつつ、古峯ヶ原に創祀したのが始まりだそうです。

その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人(僧侶)の修行の場となり、上人は古峯ヶ原
において3年の修行の後、天応2年(782)日光の男体山に登頂し、日光山を開山したと言う
ことです。
この縁起にもとづき、日光山の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、古峯ヶ原に登山、
修行する慣わしとなり、その修行は明治維新に至るまで、永きに亘って行なわれてきたそうです。

 

古峰園拝殿

 

当社は別名「天狗の社」とも呼ばれ、神社内の至る所に天狗の面や天狗の彫像など崇敬者
からの奉納品が飾られています。
天狗は祭神(日本武尊)のお使いとして、崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難
を取り除いてくれる(災厄消除・開運)偉大なる威力の持主として、古くから信仰を集めています。
いただいた御朱印は、全部で3種類、全てダイナミックな見開きの御朱印です。

 

古峰神社朱印

 

古峰神社朱印2

 

古峰神社朱印3

 

 

出羽神社 (山形県)

 

出羽三山は、山形県庄内地方に広がる羽黒山、月山、湯殿山の総称で、古くから山岳修験
の霊場として知られている所です。
開山は1400年前、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が、三本足の霊鳥に導かれ羽黒山に
登拝し、苦行の末に羽黒権現を感得、さらに月山、湯殿山と三山を開いたのが始まりと言われます。

 

羽黒山参道2

 

江戸時代までは、神仏習合の権現を祀る修験道の山でした。明治以降は神仏分離令により
神山となりましたが、今でも羽黒派古修験道は継承され、現在でも山岳信仰の山として、
多くの修験者、参拝者を集めています。

羽黒山(出羽神社)は、鶴岡市・庄内町境に鎮座する神社で、出羽三山の神々を合祀した
三神合祭殿のある神社です。
羽黒山は、蘇我氏の迫害から逃れてきた崇峻天皇の皇子である蜂子皇子によって開かれた
出羽三山の始まりになります。三山の神々を合祀する山であるとともに、蜂子皇子が創立
された羽黒派古修験道の道場にあた所です。月山、湯殿山は雪深い山頂や渓谷にあり、
通年参拝が困難なため、羽黒山の山頂に三山の神々を合祀しているわけです。

 

三山合併殿全景

 

この三神合祭殿は、上の写真のように神仏習合時代の名残をとどめるような高さ
28メートルの萱ぶき木造、朱塗りの建物です。
とりわけ厚さ2メートル以上とも言われる萱葺屋根の重厚さは羽黒派古修験道の修行の
厳しさを象徴しているかのようです。
御朱印は、合祭殿で見開きでいただきました。

 

羽黒山朱印正

 

 

 

 月山神社 (山形県)

 

  月山は、標高1984m、出羽三山の主峰として秀麗な姿でそびえ、その山頂に月山神社があります。
月山には、湯殿山神社から登るコースなど様々な登山道がありますが、今回は羽黒山山頂から月山

高原ラインに入り月山8合目に到着、ここから月山山頂まで登山道をおよそ2時間半かけて登っていきます。
修験道では、修験者(山伏)は死装束でもある白装束をまとって山中で荒行を行い、擬死再生の思想の中で、

一種の他界とも言える厳しい山中から帰還する(=蘇る)ことによって法力を獲得するものと考えられて
いたようです。 このような、習わしの中で、今でも月山登拝では、白装束登る人が多いようです。
下の写真は、8合目から山頂までの風景になります。

 

 

 

 

  月山神社は、月山山頂(1,984m)に鎮座し、明治の近代社格制度では東北唯一の官弊大社
であった神社です。 祭神の“月読命”は、月を象徴する神として、夜、海、死後(命の再生、蘇り)
の世界をつかさどり、国土安穏、天下泰平、

産業発展、五穀豊穣、大漁満足に霊験あらたかと言われています。また祖霊安鎮の山としても崇拝
されているのが月山です。

 

 
 

 

こちらでも見開きの御朱印をいただいてきました。

 

 

なお、月山神社本宮内は、特別な神域ということで、参拝者はすべてお祓いを受けてから入っていきます。

本宮内は、撮影禁止になっていました。

 

 

湯殿山神社 (山形県)

 

湯殿山神社は、山形県鶴岡市田麦俣の湯殿山山頂にある神社です。古来、出羽三山の奥宮
とされ、修験道の霊地であり「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた神秘的なたたず
まい
を見せている所です。

湯殿山は、月山南西腹に連なるなだらかな稜線を持つ山で、月山山頂から登山道を2時間
ほど歩けば行ける所にあります。今回は、鶴岡側から国道112号線、そして湯殿山有料
道路に入り、大鳥居のある湯殿山参籠所の駐車場に車を止め、そこから参拝バスに乗り換え、
湯殿山神社本宮に入りました。

 

湯殿山大鳥居

 

湯殿山神社本宮は、月山から流れる梵字川の峡谷に鎮座し、温泉が湧き出る巨岩が御神体
と言う大変珍しい神秘的な神社です。
参拝に際しても、靴を脱ぎ裸足になり、お祓いを受けてから本宮に入る事になります。
また本宮全体が神域であり、大変残念ですが写真撮影はできません。
なお祭神は、大山祗神、大巳貴命(大国主神)、少彦名神の三神になります。

 

湯殿山本宮

 

湯殿山の修行の中には、“即身仏”(修行者が瞑想を続けて絶命し、そのままミイラになる)
も多かったと言われ、一期千日と言われる想像を絶する荒行により自らの穢れを祓い、
そして体内の脂肪分をとり、即身仏となって他人の苦しみを変わって受けようとしたんだそうです。
目を閉じ雪に閉ざされた本宮を想像すると、そんな清浄神秘な世界が浮かんでくるようでした。

 

湯殿山朱印正

 

 

榴岡天満宮 (宮城県)

 

 榴岡天満宮は、仙石線榴ヶ岡駅から徒歩2分程度の仙台市宮城野区榴ヶ岡にある学問の神様
「菅原道真」を祀る神社で、境内には合格祈願のたくさんの絵馬が奉納されています。

 

 

本殿は、寛政七年(1795)落雷による火災によって焼失、その後建てられたものになるそうです。

 

 

いただいた御朱印には、
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と菅原道真公の歌が書かれていました。

 

榴ヶ岡天満宮朱印70

 

 
伊佐須美神社 (福島県)

 

伊佐須美神社は福島県会津美里町にある神社です。会津の総鎮守として昔から住民の崇敬を受けて
きた神社です。
 
社の歴史によりますと創建は紀元前、四道将軍の父子がそれぞれの道をたどり、蝦夷を平定した後、
この地で出会ったことから「会津」という地名が起こったと伝えられています。
この時、国土開拓の神様であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の御神楽岳
に奉祀したそうです。これが伊佐須美神社の起源とされています。
その後、欽明天皇十三年(552)に現在の地に遷座したそうです。
鳥居を抜けると立派な楼門が迎えてくれます。

 

 

社殿は、2008年に火災により焼失、現在は仮本殿での参拝になります。

 

 

 
いただいた御朱印は個性たっぷり、楽しい気持ちにさせてくれる御朱印です。
私には解読するが難しい御朱印ですが、左側には「平成二十六年五月三十日」の参拝日、
中央には薄墨で「伊佐須美神社」と書かれてあるそうです。

 

伊さす見神社朱印70

 

 

 

米田大師寺

 

米田大師寺は、JR曽根駅から徒歩30分、 高砂市阿弥陀町にある真言宗勧修寺山階派の寺院です。

鹿嶋神社の大鳥居から、参道を300メートルほど進んだ右手にひっそりと建っています。

 

 

米田大師

 

 

御朱印は、ご住職が一枚一枚、心を込めて「御朱印アート」といえる御朱印を書いていただけます。 
私は、達磨さんとお地蔵さんの御朱印を見開きでいただいてきました。

 

米田大師朱印大

 

 

☆御朱印帳購入先のご案内

御朱印帳を専門に製作、販売している業者もあり、様々なデザインの御朱印帳が販売され、インターネットで購入

することが出来ます。 専門業者ですので、品揃えが多く自分好みのグッドなデザインの御朱印帳を手に入れることが

出来ると思います。

なお、一般的には、蛇腹式で40ページか60ページのものを選ばれるとよいと思います。

 

法徳堂 楽天市場店 品ぞろえが多く、グッドデザインの御朱印帳がそろっています。

 

てくてくおへんろさん 四国八十八か所霊場めぐり用品のデパートです。一般の御朱印帳もそろっています。

 

Amazonの御朱印帳 品ぞろえが多く、売れ筋の御朱印帳が分かります。

 

Amazonの御朱印収集ガイドブック 御朱印収集に役立つ様々な書籍が販売されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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