楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

京都 天龍寺 御朱印めぐり
地域:

天龍寺 御朱印めぐり

 

この記事では、京都市右京区嵯峨にある京都五山の第一位とされてきた臨済宗天龍寺派の大本山、天龍寺と
その塔頭寺院を巡る御朱印めぐりを紹介しています。

 

 

天龍寺

 

天龍寺(てんりゅうじ)は、京福電車の嵐山駅から徒歩3分ほどの京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町に建つ
臨済宗天龍寺派の大本山になる寺院です。

山号は霊亀山、本尊は釈迦如来、壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位に列せられる禅寺です。

 

 

 

開基は足利尊氏、開山は夢窓礎石、康永四年(1345)の創建になります。

足利尊氏が、吉野で崩御された政敵、後醍醐天皇の菩提をともらうために建てたのが、天龍寺になります。

天龍寺建設にあたり、資金不足を補うため、元寇以来途絶えていた元との貿易を再開することにしたのが、世
に知られる「天龍寺船」の始まりになります。

 

下は、台所兼寺務所の機能を持つ庫裡になります。

 

 

 

 

下は、法堂になります。天井には、加山又造画伯の筆による雲龍図が有名です。

正面須弥壇には釈迦三尊像が安置され、開山の夢想礎石や足利尊氏像などが祀られています。

 

 

 

 

下に写真は大方丈になります。大方丈の本尊は、国の重要文化財に指定されている釈迦如来坐像になります。

 

 

 

 

大方丈の裏に広がる曹源池庭園は、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・
特別名勝に指定された庭になります。

方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝があります。龍門の滝とは中国の登龍門の故事に
なぞらえたものだそうです。

 

 

 

 

 

 

下は、5月の曹源池庭園になります。

 

 

 

 

天龍寺の北門付近の小路は竹林の名所として多くの観光客が訪れる所です。

写真は、竹林に寄り添う紅葉になります。

 

 

 

いただいた御朱印には「覚王寶殿」と書かれています。禅宗では、七堂伽藍の中心になる仏殿に”釈迦牟尼仏”を祀り、
そこを「覚王寶殿」と呼びますので、ご本尊の”釈迦如来”を祀るお堂ということになるかとおもいます。

 

 

 

 

 

 

宝厳院

 

宝厳院は、渡月橋から徒歩2分程度の所にある臨済宗天竜寺派の寺院で、天龍寺の塔頭の一つです。
山号は大亀山、本尊は十一面観音になります。

創建は1461年、細川頼之が聖仲永光を開山に招聘して起こした寺と言われています。

その後変遷を経て、天龍寺の他の塔頭に間借りしていたものを、平成十四年(2002)、天龍寺方丈南側の
現在地を購入して移転、再興した寺だそうです。

 

 

 

 

写真に見るように、嵐山を借景とする回遊式庭園で、紅葉と巨岩を配した庭園の美しさは格別で、毎年秋に
なると紅葉の名所として多くの観光客を集めています。

 

 

 

 

 

 

いただいた御朱印には“念彼観音”と書かれています。御本尊の十一面観音様に「念ずれば、観音様は必ずやお
力になってくれる」という意味かと思われます。

 

 

 

 

弘源寺

 

弘源寺(こうげんじ)は、天龍寺の境内、参道の北側に面する塔頭寺院になります。本尊は観世音菩薩になります。

寺の案内によりますと、創建は永享元年(1429)、室町幕府の管領であった細川持之公が、天龍寺の開山である夢窓
国師の法孫にあたる玉岫禅師を開山に迎え開いた寺になるそうです。

 

 

 

下は本堂になります。

 

 

 

 

下の写真は毘沙門堂になります。正面の扁額は弘法大師の直筆になるそうです。

 

 

 

いただいた御朱印は、「毘沙門天」になります。

 

 

 

 

三秀院

 

三秀院(さんしゅういん)は、天龍寺境内の北側参道の東端にある塔頭寺院の一つになります。

創建は貞治二年(1363)になるそうです。

 

 

下は本堂になります。

 

 

 

三秀院は、「東向大黒天」と呼ばれる大黒天を祀っています。下が大黒天を祀る御堂です。

 

 

 

 

いただいた御朱印にも、「東向大黒天」と書かれていました。

 

 

 

 

 

慈済院

 

慈済院(じさいいん)は、天龍寺境内の参道北側中ほどにある塔頭寺院の一つになります。

 

創建は貞治二年(1363)になるそうです。

 

弁天堂の前には、「来福門」と呼ばれる竜宮門が建っています。

 

 

 

 

 

弁天堂には、「水摺大辨財天」と呼ばれる弁財天を祀っています。

 

 

 

いただいた御朱印にも、「水摺大辨財天」と書かれていました。

 

 

ページトップ