楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

上賀茂神社・松尾大社・八坂神社・城南宮・平安神宮 京都五社 御朱印めぐり
地域:
上賀茂神社・松尾大社・八坂神社・城南宮・平安神宮 御朱印めぐり  
平安京は、四神相応の地、北を玄武、南を朱雀、西を白虎、そして東を蒼龍が守る地として造営されました。
京都五社は、この平安京と関係の深い北の玄武「上賀茂神社」、西の白虎「松尾大社」、東山の蒼龍「八坂神社」、
南の朱雀「城南宮」、そして中央を守護する「平安神宮」の五社からなります。この記事では、この京都五社を
めぐる御朱印めぐりの旅を紹介します。
上賀茂神社  

上賀茂神社は、京都市北区にある神社で正式名称は「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちじんじゃ)になります。
上賀茂神社は下鴨神社と共に、古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社で、葵祭(賀茂祭)などは両社共同で実施されています。
上賀茂神社の祭神「賀茂別雷大神」は、母である玉依日売(たまよりひめ)が、境内を流れる御手洗川に流れてきた白羽の
矢を床に置いたところ懐妊したとされます。
創建は天武天皇の御代678年、現在の地に社殿が造営されたことに始まるようです。

特に雷の神威により、厄除・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されているそうです。 また都が京都に
遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として朝廷から篤い崇敬を受けてきたと言われています。
明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治十六年には勅祭社に定められています。
上賀茂神社の二の鳥居を入ると、目に飛び込んでくるのが細殿前に作られた円錐形に整えられた『立砂(たてずな)』
です。立砂は、神様が最初に降臨された神山を模して作られたそうです。 現在でも鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのは、
この「立砂」が起源だそうです。

境内を流れる清流、御手洗川のたもとには、藤原家隆の百人一首にある歌の歌碑が立っています。
「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」

寺の案内によりますと、6月30日に行われる当社の夏越祓式(なごしはらえしき)では、夕闇迫り篝火の炎が川面
に揺らぐ中、氏子崇敬者より持ち寄られた人形(ひとがた)を、御手洗川に投じ半年間の罪穢を祓い清めるそうです。
その情景を詠んだのがこの歌だそうです。 奈良の小川ではなく京都の上賀茂神社を流れる小川だったのです。

   

松尾大社    

松尾大社は、阪急嵐山線の松尾駅から徒歩3分程度の京都市西京区にある神社です。

社の由緒によりますと、太古の昔からこの地域に住んでいた住民により、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の磐座
に祀って、守護神として信仰してきたのが始まりだそうです。

5,6世紀ごろ朝廷の招きによって大陸からの渡来した秦氏が、山城の国一帯に居住し、松尾山の神(大山咋神)
を氏神として祀り、大宝元年(701)勅命により秦氏が現在の地に社殿を造営したということです。
なお秦氏は、酒造の技術を日本に伝えたことから、松尾神は“酒造の神”としても信仰されるようになっています。

松尾大社は、関西一の“山吹”の名所として知られ、境内にはおよそ3,000本の山吹きが所狭しと咲き誇り、
彩りを添えていました。

境内は、背後の松尾山を含めて12万坪に及ぶそうで、松尾山から谷に沿って流れてくる御手洗川には、
霊亀の滝と呼ばれる滝もかかっています。

境内に点在する庭園、「上古の庭」、「蓬莱の庭」、「曲水の庭」は松風苑三庭と呼ばれ、1975年に完成した
昭和を代表する日本庭園(重森三玲の作)と呼ばれています。 下の写真は、蓬莱の庭になります。

八坂神社  

八坂神社は、丸山公園の西隣、京都市東山区祇園町にある京都三大祭りの一つ“祇園祭”で知られる神社です。
四条通りの突当りが西楼門になります。

社伝によりますと、八坂神社の創祀は、高句麗の使い伊利之が来朝した斉明天皇二年(656)と言われています。
また八坂神社の主祭神は『すさのおのみこと』になります。 『すさのおのみこと』は高天原を追われる運命に
ありながら、出雲にたどり着き、八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した英雄神です。
有名な祇園祭は、平安時代の初期、貞観11年(869)疫病が流行した際にこれを鎮めようと、祇園社に祀られて
いるこの強い英雄神、『すさのおのみこと』を頼って始まったのが祭であると言われています。 当時、平安京
の庭園であった神泉苑に、66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って災い除去を祈ったそうです。
このように、豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。

本殿(写真下)は、国の重要文化財に指定されています。この建物は、別棟であった二つの建造物、本殿と拝殿と
を一つの屋根で覆ったもので、他に類例のない建築様式であることから、「祇園造」とよばれています。

社を代表する御朱印は、「祇園社」になります。

 

また他にいただける御朱印の一つに『青龍』の御朱印があります。

これは、東西南北の四方を守護する聖獣「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の中の一つ「青龍」を表しています。
八坂神社が鎮座する東山の地は、「青龍」の宿る所であり、「龍穴」があると言われています。
境内には、龍穴に通じているとされる神水がわき出ているところもあるそうです。
なお、祇園祭の期間には、祇園祭にちなんだ「御霊会」の御朱印をいただくことができます。

城南宮  

城南宮は、京都市営地下鉄、近鉄線竹田駅から徒歩15分、京都市伏見区にある神社です。

主祭神に、国常立尊、八千矛神(大国主神)、息長帯日売命(神功皇后)の3神を祀っています。
創建年は不詳とのことですが、社の歴史案内によりますと、平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を
願って王城の南に祀られたお宮であることから「城南宮」と称しているそうです。
京都御所の裏鬼門を守ることから、次第に方除けや厄除けの神としても信仰されるようになったそうです。
下の写真は、拝殿になります。

下は、本殿になります。

神苑「源氏物語花の庭」は、中根金作の作庭の名園で、春と秋には平安の庭(写真下)で「曲水の宴」が催され、
ゆったりとし優雅な時が流れる平安絵巻を観ることができます。

下の写真は、毎年4月29日、11月3日に「曲水の宴」が催される遣水になります。

下は、室町の庭になります。

下は、城南離宮の庭になります。

平安神宮

平安神宮は、地下鉄東西線東山駅から北へ徒歩10分、京都市左京区岡崎にあり、創建が明治二十八年(1895)
の新しい神社です。 平安遷都1100年を記念して、平安京遷都当時の大内裏の一部を実物の8分の5の大きさで
復元したものが現在の平安神宮になります。
平安神宮は、平安京遷都を行った桓武天皇を祭神とする神社として創祀され、皇紀2600年にあたる昭和15年に、
平安京で過ごされた最後の天皇、孝明天皇が合祀されました。
南側の表参道には、高さ24.4メートルと言う大鳥居がまず目に入ってきます。

そして大きく赤く光る朱色の門が、大内裏の朝堂院を模したと言われる応天門になります。

その内側に朝堂院の大極殿を模したと言われる外拝殿があります。
外拝殿は東側に蒼龍楼(向かって右)、西側に白虎楼がついています。

 

 

平安神宮は、明治維新後の京都の衰退と荒廃の中で、千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、
そして京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建された神社だそうです。
「日本文化のふるさと京都」のおや神様として京都岡崎の地に鎮座しているわけです。
平安神宮では、京都を守る四神のお守りが授与されていて、ここでいただける御朱印帳にも玄武、蒼龍、朱雀、白虎の
四神の絵が入っています。

社の説明によりますと、四神相応の地「平安楽土」とされているのは、東に清き流れがあるのを「蒼(青)龍」、
南が広く開けた湿地帯であるのを「朱雀」、西に大きな道が続くのを「白虎」、北に高くそびえる山があるのを
「玄武」とされていて、京都では「蒼龍」が賀茂川、「朱雀」は干拓されて今は無き巨掠池、「白虎」は山陽道
(もしくは山陰道)、「玄武」は舟岡山だそうです。

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