楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

秋葉山・岩水寺 浜松北御朱印めぐり

秋葉山本宮秋葉神社・秋葉寺・岩水寺 浜松北御朱印めぐり    

 

この記事では、静岡県浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社・秋葉寺・岩水寺をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。

 

秋葉山本宮秋葉神社 上社  

 

秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区春野町にある神社です。
赤石山脈の最南端、標高866メートルの秋葉山山頂近くにあり、秋葉山を神体山として崇敬されてきた神社です。
全国の秋葉神社の総本宮になる神社です。  
祭神は、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)、火の神様、創建は和銅二年(709)になります。
古来より火防及び火そのものに対する信仰が根本であり、消防団や火を扱う調理師などの参拝者が多いそうです。
上社の駐車場で車を降り、大鳥居をくぐり境内に入ります。

整備された参道が続き、本殿前には新しい神門があります。

現在の本殿は、昭和六十一年に再建されたものになります。

下の写真は、本殿前から見た南側の風景になります。

下社から続く表参道を200メートルほど下ると、表神門(写真下)があります。
表神門は唯一残る江戸時代に造営された建造物になります。
下社から上社まで標高差750メートル、古くからの参道が続いていて下社から登ってくると2時間ほどかかるようです。

秋葉寺  

秋葉寺(しゅうようじ)は、表神門からさらに参道を10分ほど下ったところに建つ,“秋葉三尺坊大権現”をまつる寺院です。

三尺坊は戸隠の生まれで蔵王権現堂の十二坊のうちの一つを三尺坊と名付け、そこに住んで精進を重ね神変した
お坊さんで、大同四年(809)に秋葉山に舞い降り、以降秋葉山で入寂する永仁二年(1294)まで450年以上
にわたり諸国を遊行して人々を救ったと伝えられているお坊さんです。とりわけ大火から人々を救った伝承が多
かったこともあり、人々に「火伏せ の神さま」として信仰されているそうです。  
秋葉山は、江戸時代までは秋葉権現を祀る神社と観世音菩薩を本尊とする秋葉寺が同じ境内にある神仏混淆の山
であったそうです。明治初めの神仏分離令により、秋葉権現社は「火之迦具土大神」を祀る秋葉神社に改称され、
秋葉寺の方はその後、廃寺となり、三尺坊は袋井市にある可睡斎に遷座したそうです。
その後明治十三年、秋葉寺は地元の人々の強い願いにより、聖観世音菩薩と三尺坊を祀る寺として再興されたようです。

いただいた御朱印には、「秋葉三尺坊大権現」と書かれていました。

なお江戸の町は火事が多く、江戸時代は秋葉山火伏せ信仰が篤く信仰され、東京の“秋葉原”の地名も秋葉山
から来ているようです。  
参拝を済ませ、元来た参道(登山道)を秋葉山本宮秋葉神社上社まで20分ほどかけて登って戻ります。

秋葉山本宮秋葉神社 下社  

秋葉山本宮秋葉神社上社から秋葉山を下り、天竜川の支流、気多川(写真下)に沿って下社へ車を進めますと45分
ほどで下社に到着することができます。

秋葉神社下社は、秋葉山の南東側の山麓、浜松市天竜区春野町にあります。上社へは古くからの参道が通じ、
徒歩で2時間ほどで登ることができます。 下社の祭神も火之迦具土大神になります。

下の写真は、下社の拝殿になります。

いただいた御朱印には、「火防本宮」と書かれていました。

岩水寺  

岩水寺(がんすいじ)は、浜松市浜北区にある高野山真言宗の別格本山になる寺院です。
山号は龍宮山、本尊は薬師如来と地蔵菩薩になります。

寺の歴史によりますと、創建は神亀二年(725)行基が自ら薬師如来像を刻み開創した寺になるそうです。
また延暦年間に、坂上田村麻呂が東征の折、この地で天竜川の龍神が化身した美しい娘と恋に落ち、その
一子がお母様(龍神)の魂が刻まれた“厄除子安地蔵”を岩水寺に安置したそうです。 子を産んだ女性がお
地蔵様であり、「家をまもるは岩水寺」と呼ばれ、安産祈願、子授け、宮参り(龍之宮参り)、家内安全、
厄除けに功徳があるとされ、年間数十万人の参拝者が訪れるそうです。  
本堂である地蔵堂には、本尊厄除子安地蔵菩薩が安置されています。

こちらでは、「子安地蔵尊」の御朱印をいただけます。

本堂からさらに奥にある薬師堂には、総本尊となる薬師如来が安置されています。

薬師堂に関しては、「薬師如来」の御朱印をいただくことができます。

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