楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

東京十社 御朱印めぐり
地域:

東京十社とは明治天皇が明治元年、准勅祭神社として幣帛を捧げられ、東京の鎮護と万民の平安を祈願された
神社のことをいいます。
勅祭とは天皇の特使である勅使が派遣されるお祭りで、これに准ずる東京十社は格式
の高い神社といえるわけです。
この記事では、この東京十社をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介します。

根津神社

根津神社は、地下鉄千代田線根津駅からおよそ5分の文京区根津にある神社です。
社の由緒によると、今から1900年ほど前、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間
(1469-1486)に太田道灌により社殿が建立されたと言われています。
江戸時代、五代将軍徳川綱吉が現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より根津に遷座したそうです。
主祭神には、須佐之男命、大山咋命、誉田別命を祀っています。

社殿は、本殿・幣殿・拝殿が一つにまとめられた権現造りの形式をとっていて、楼門(写真上)などと共に
重要文化財に指定されています。

 

根津神社の境内には、約2000坪のつつじ苑があり、およそ100種3000株のツツジが咲き競い、
桜の名所として有名です。毎年4月から5月初旬にかけて“つつじ祭り”が開かれ、多くの参拝客でにぎわいます。

 

芝大神宮

芝大神宮は、増上寺から浜松町駅の方向へ徒歩5分程度の港区大門にある“芝神明”とも呼ばれる神社です。

祭神として、伊勢神宮の祭神、天照皇大御神、豊受大神の二柱を祀っています。
社の由緒によりますと、創建は、平安時代の寛弘二年(1005)と古く、鎌倉時代は源頼朝の信仰や徳川時代は
幕府の保護を受け、大江戸の“大産土神”また「関東のお伊勢さま」として、篤く崇拝されたそうです。

 

神田神社 (神田明神)

神田神社は、お茶の水駅から徒歩5分程度の千代田区外神田にある神社です。
野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公;銭形平次は架空の人物ではありますが女房おしずと共に
“神田明神下”の長屋に住んでいる設定になっていて、“神田明神”としてご存じの方も多いかとおもいます。

神田神社の主祭神は、大己貴命(だいこく様)、少彦名命(えびす様)、平将門命(まさかど様)の3人を祀っています。

社伝によりますと、天平二年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫により創建されたものと伝えられています。
その後、天慶の乱(平将門の乱)で死んだ平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それ
が将門のたたりなどとして人々を恐れさせたため、延慶二年(1309)当社に奉祀することになったそうです。

江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、元和二年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所に
あたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営され、以後「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸
庶民にいたるまで「明神さま」として篤い崇敬を受けてきた神社です。
明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称したそうです。

日枝神社

日枝神社は、千代田区永田町にある神社で山王台と呼ばれる高台にあります。

主祭神として大山咋神(おほやまくひのかみ)を祀っています。
社の由緒によりますと、日枝神社の創建は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、
さらに文明十年(1478)、太田道灌が江戸城を築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請したと
伝えられています。
以後江戸の鎮守、徳川将軍家の産土神として、崇敬をうけてきたそうです。

「日枝」とは、近江の国日枝山(比叡山)にちなむ名で、比叡山の山裾、大津市坂本に鎮座する日吉大社を
本祠としています。伝教大師最澄が、比叡山に延暦寺を開いた時、日枝(山王)の神を天台宗の守護神とした
ことから、天台宗の広がりと共に、日本各地に勧請されたようです。
いただいた御朱印には、“皇城の鎮”と記されています。

亀戸天神社

亀戸駅から、北西へおよそ13分の町中にある「学問の神様 菅原道真公」を祀る神社です。
亀戸天神は、1662年、幕府の大事業である本所開発にあたり、天神様を崇敬していた時の将軍家綱の
土地寄進により、現在の地に設立されたそうです。

東京スカイツリーが社殿の背後に控え、亀戸天神の新しい雰囲気を作っています。

境内は大宰府の社にならい、社殿、楼門、廻廊、心字池、太鼓橋などが造営され、今日まで350年、
東国天満宮の宗社として崇拝されているということです。

天神さま「菅原道真公」を祀る神社、境内は梅の名所として知られています。
また特に見事なものが藤、藤棚が心字池の周りを埋め尽くし、毎年5月の連休ごろは、藤祭りが開かれます。
太鼓橋の上から一面の藤棚を上から見下ろすことができることも特徴の一つで、この期間は、多くの観光客で
にぎわいます。

秋の菊も見事だそうで、『花の天神さん』と言われ親しまれています。
さらに、東京スカイツリーが社殿の背後に控え、梅の季節や藤の季節は、花とスカイツリーの共演が楽しめる神社です。

 

白山神社

白山神社は、都営三田線白山駅から徒歩2,3分の文京区白山にある神社です。

主祭神に、菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冉命の3柱を祀っています。
創建は平安時代の天暦年間(947~957)と古く、加賀にある白山神社を東京の本郷の地に勧請したのが始まりだそうです。

 

品川神社

品川神社は、京浜急行新馬場駅前にある神社です。

源頼朝が文治三年(1187)、海上交通安全と祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神から“天比理乃咩命”
を勧請して、品川大明神と称したのが始まりということです。
また東海七福神の一つとして“大黒天”を祀る神社でもあります。

境内には、富士山の溶岩を使って富士山に模して造営された小高い“富士塚”(写真下)があり、江戸時代の
富士山信仰が忍ばれます。富士塚には、2合目、7号目などの表示もあり、登る事も出来ます。
また脇には、浅間神社も祀られています。

 

こちらでは、“品川神社”としての御朱印の他に、東海七福神の一つ“大黒天”の御朱印をいただくことが出来ます。

富岡八幡宮

富岡八幡宮は、地下鉄東西線門前仲町駅から徒歩3分程度の江東区富岡にある主祭神に八幡神(応神天皇)
を祀る神社です。
社の沿革紹介によりますと、富岡八幡宮は寛永四年(1627)、菅原道真の末裔と言われる長盛法印という方が、
当時永代島と呼ばれていたこの地に八幡さまを創祀したのが始まりになり、庶民の信仰が篤く、以後富岡の地
は門前町として発展してきたそうです。

社殿は、火災や地震などにより損壊、現在の社殿は、昭和三十一年に造営されたものになります。

 

境内には、江戸時代の測量家である伊能忠敬の像が建てられています。
忠敬は、深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたそうです。

富岡八幡宮は、貞享元年(1684)に今日の大相撲の前身である勧進相撲が行われた勧進相撲発祥の神社だそうです。
境内には、歴代横綱を顕彰する横綱力士碑や大関力士碑など相撲関係の碑が建立されています。
現在でも新横綱の誕生時には、奉納土俵入りなどの式典が行われているそうです。

また、8月15日を中心に行われる「深川八幡祭り」は江戸三大祭の一つに数えられています。
境内の神輿庫には、二基の神輿が飾られていました。

王子神社

王子神社は、王寺駅から徒歩2,3分、北区王子本町にある神社です。
祭神に、伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命を祀っています。

元亨二年(1322)に熊野より若一王子を勧請したのが始まりと言われ、それ以来この地域が“王子”と呼ばれる
ようになったそうです。

 

 

赤坂氷川神社
 

赤坂氷川神社は、地下鉄千代田線赤阪駅から徒歩5分程度の港区赤坂六丁目にある神社です。
祭神に、ヤマタノオロチを退治したことで知られる“素盞嗚尊”、その妃神“稲田姫命”、別名大国主命である
“大己貴命”の3神を祀っていて、「厄除け」「縁結び」「商売繁盛」などにご利益があるといわれています。

 

社の由緒によりますと、創立の起源は天歴五年(951)になるそうです。
江戸時代は幕府の尊信が篤く、享保十四年(1729)八代将軍 徳川吉宗の命により、現在の地に社殿が造営され、
現在にいたっているとのことです。社殿も、この時に建てられたもので、都の文化財に指定されています。

 

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