楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

京都 大徳寺・大徳寺塔頭 御朱印めぐり
地域:

この記事では、京都市北区柴野にある大徳寺とその塔頭をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。

 

大徳寺

大徳寺は、京都市北区柴野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山になります。
山号は龍寶山、本尊は釈迦如来になります。   創建は正中二年(1325)、開基は鎌倉の建長寺などで修業を
された大燈国師(宗峰妙超)になります。応仁の乱後、一休和尚が再興した寺として知られています。

大徳寺は、豊臣秀吉の帰依が篤く、また千利休をはじめ、茶の湯文化との関係が深いことでも知られています。
三門(写真下)の二階部分は、千利休の寄進によって増築され「金毛閣」と名付けられましたが、利休の像を
安置したことから豊臣秀吉の怒りをかい、利休切腹の原因の一つになった事は、よく知られています。

京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には三門、仏殿、法堂などが一直線に並ぶ禅宗様式で伽藍が
形成されています。

三門前にある勅使門は、御所の門を下賜されたもので、寛永十七年(1640)に移築されたもので、
重要文化財に指定されています。

仏殿は、寛文五年(1655)に再建されたもので重要文化財に指定されています。

本堂にあたる法堂は、寛永十三年(1636)に再建されたもので、同じく重要文化財に指定されています。

大徳寺の御朱印は、法堂近くの庫裡の方でいただくことになります。

いただいた御朱印には、「本朝無双禅苑」と書かれていました。
本朝とは日本のこと、日本に二つとない禅修道場ということかと思います。

大徳寺の境内には、20を越える塔頭があります。 大仙院や黄梅院などいくつかの塔頭は、小堀遠州作などの
名庭園を持つところも多く、一般の拝観が可能で、塔頭ごとに御朱印をいただくことが出来ます。


黄梅院
 

 

黄梅院は、永禄五年(1562)に織田信長が父信秀の供養のために建立した寺院です。 本堂や庫裏は重要文化財
に指定されています。庫裏は禅宗寺院のものとしては日本最古級のものになるそうです。

 

千利休により造られたという 「直中庭」と呼ばれる池泉式枯山水庭園などがありますが、写真撮影は
不可になっています。 下の写真は、写真撮影が許されている入口近くの庭になります。

訪れたのが11月の中旬、いただいた御朱印には、見開きで「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ
人世の姿 写すが如くに」と書かれていました。裏になり表になってひらひらと舞い落ちるもみじ、
いいことも悪いことも、喜びも悲しみもそれが人生、全て受けとめてきれいに朱に染まったもみじの
ような最後を迎えたいものです。

 


龍源院  

 

龍源院は、大徳寺の塔頭の中で一番古く、創建は文亀二年(1502)ごろと言われ、大徳寺72世、
東渓宗牧(仏恵大円禅師)が開山になるそうです。

 

龍源院には、趣向凝らした複数の庭があります。 その一つ、方丈北側にある“龍吟庭”は、室町時代に
造られた枯山水庭園で、中央の石組は須弥山を表し、手前に広がる杉苔は洋々たる大海になるそうです。

 

 

“一枝坦”と呼ばれる庭は、丸く象った苔の中に石が立つ島を連想させる斬新なものです。

 

 

いただいた御朱印には、「大圓殿」と書かれていました。
“大圓殿”とはこの寺を開かれた仏恵“大円”禅師がおられた寺ということになるかと思います。

 

 


瑞峯院  

 

瑞峯院は、キリシタン大名として知られる大友宗麟が自らの菩提寺として創建した寺になります。
創建は天文四年(1535)ごろになるようです。

 

 

方丈前の庭は、「独坐庭」と呼ばれる庭で、寺号“瑞峯”をイメージした蓬莱山式庭園にあるそうです。
大海の中にあり仙人が住むという中国五神山の一つ「蓬莱山」をイメージしたのが蓬莱式庭園になるようです。
庭名の「独坐庭」は、「独坐大雄峰」という中国の百丈禅師という高僧の言葉から命名されているようです。
「今現に生きてここに坐っていることが一番有り難いこと」という意味になるようです。

 

いただいた御朱印にも、「独坐大雄峰」と書かれていました。

 

 


興臨院  

 

興臨院は、大永年間(1520年代)に能登の国の戦国大名、畠山義総により建立され、以後畠山家の菩提寺
となった寺です。寺名は、義総の法号から付けられたそうです。 また畠山家没落後は、前田利家により改修
などが行われ、前田家の菩提寺になったそうです。

 

方丈庭園は、方丈の解体修理に合わせ資料を基に復元されたもので、大石と松などをあしらった理想的な
蓬莱世界を表現しているものになるようです。

 

いただいた御朱印には、本尊である釈迦如来を表す「釈迦牟尼佛」と書かれていました。

 

 

 

高桐院  

 

高桐院は、慶長七年(1602)に戦国時代の大名、細川忠興によって建てられた寺院です。
細川家の菩提寺になり、忠興やガラシャ夫人の墓などがあります。

 

本堂前の庭園は、通称「楓の庭」と呼ばれる苔地に楓が植わっている趣ある庭です。
訪れた時も外国人観光客の方々が、優雅な時を過ごしていました。

 

いただいた御朱印には、「高桐院」と書かれていました。

 

 


芳春院
 

 

芳春院は、大徳寺の塔頭の中では最も北にあります。創建は慶長十三年(1608)、前田利家の夫人;
まつ(芳春院)が建立し、前田家の菩提寺になります。

 

 

客殿背後の庭園は、「飽雲池」と呼ばれる池を中心にした楼閣山水庭園であり、江戸時代の初期に
小堀遠州の作と伝えられています。左側の建物は、京都四閣の一つと言われる「呑湖閣」と呼ばれる建物です。

 

客殿前には枯山水の庭園があります。写真中央の石積みは大海の中にあり仙人が住むという中国五神山の一つ
「蓬莱山」をイメージした蓬莱式庭園になるようです。

 

いただいた御朱印には、庭園「楼閣山水」と書かれていました。

 

 

 

大仙院  

 

大仙院は、永正六年(1509)に大徳寺76世住職大聖国師によって創建されています。

 

大仙院には、室町時代随一といわれる枯山水庭園や国宝の方丈などの文化財がありますが、
残念ながら写真撮影不可になっています。 下の写真は、拝観者玄関になります。

 

いただいた御朱印には、「国宝 拈華殿」と書かれていますので、方丈の別称かと思います。
“拈華”という言葉は、お釈迦様の教えの一つである「拈華微笑」という禅語から来ているものと思います。

 

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