楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

富山 立山・高岡 御朱印めぐり

雄山神社前立社檀

雄山神社は、富山県立山町にある古来から「立山権現」と称されていた越中国一宮となる神社です。
富士山と白山と並び日本三霊山として信仰を集めてきた霊峰立山をご神体として、立山の神として
伊邪那岐神(本地阿弥陀如来)と天手力雄神(本地不動明王)の二神を祀っています

社伝によれば、創建は大宝元年(701)と古く、越中国国司の子である佐伯有頼が開祖になるそうです。

雄山神社は、前立社壇、中宮祈願殿、そして立山の山頂にある峰本社の3社からなり、3社合わせて
宗教法人雄山神社となっています。

前立社壇は山裾に位置し、3社の中で一番平野部に近く一番手前に建立していることから、前立社壇
と呼ばれています。
山頂の峰本社は、冬の期間は雪深く登山することが至難であったため、山麓岩峅
(前立社壇)に社壇を建て、年中の諸祭礼を行ってきたそうです。

表鳥居(写真下)から入ります。

 

 

参道を進むと表神門があります。

 

 

本殿を挟んで両脇に鳥居(表鳥居・東鳥居)と神門(表神門・東神門)が存在する作りも前立社壇の特徴の一つでもある。
下の写真は、表神門から左手に本殿を、そして正面に東神門を見たものです。

 

 

現在の本殿は、12世紀の終わりに源頼朝が再建したものが、改修されながら受け継がれているそうで
国の重要文化財に指定されています。本殿の間口は5間、北陸最大になるそうです。

 

 

 

 

日石寺

日石寺は、富山県上市町にある真言密宗の大本山になる寺院です。
山号は大岩山、本尊は大岩に掘られた磨崖仏の不動明王像になります。
山号の大岩と本尊の不動明王から「大岩不動」「大岩のお不動さん」と呼ばれています。

寺の由緒によりますと、創建は神亀二年(725)に行基が開いたのが始まりになるようです。
古くから立山の山岳信仰の一端として寺運も隆盛し最盛期には21社60坊を抱える大寺であったそうです。

 本堂は、岩壁に刻まれた磨崖仏に覆いをかける形で建てられています。

 

 

寺の案内によりますと、大岩日石寺磨崖仏(国指定重要文化財、写真下))は不動明王像、二つの童子像、
阿弥陀如来像、僧形像の5体で構成されているそうです。
不動明王像(像高313.5センチ)と二童子像(像高214センチ)は行基が自ら彫り込んだと伝わる
もので、大きさや美しさ、保存状態から全国の中でも指折りの磨崖仏になるそうです。

 

境内背後に建つ三重塔は、弘化2年(1845)に建てられたものですが、財政難だった為、外壁が造られず
未完のまま
現在に至っているそうです。

 

 

本堂の左手には、心身を清めて不動尊を参拝するために造られ“六本滝”があります。
六大(地、水、火、風、空、識)を型どった6つの蛇口から流れる滝に打たれることにより、
六欲煩悩を洗い落とすことができるそうです。

 

 

いただいた御朱印には、「不動明王」と書かれていました。

 

 

瑞龍寺

瑞龍寺は、富山県高岡市にある曹洞宗の寺院です。山号は高岡山、本尊は釈迦如来です。
瑞龍寺の創建は慶長十九年(1614)、高岡城を造り、この地で亡くなった加賀藩二代藩主前田利長公の
菩提を弔うために、三代藩主利常公がこの地に建立したのが始まりだそうです。

伽藍は、中国の伽藍配置を模して建立されたもので、山門、仏殿、法堂が一直線に並び、左右に回廊を
めぐらして、諸堂が整然と対称的に配置されています。

仏殿、法堂、山門の3棟は禅宗様式の代表的建物として、国宝に指定されています。

まずは総門から入ります。総門は、正保年間に建てられたもので、重要文化財に指定されています。

 

総門を入ると正面に、禅宗寺院らしい端正で落ち着いた山門が控えています。
現在の山門は、文政三年(1820)に建てられたもので、仁王像が安置されています。

 

 

山門をくぐると正面、伽藍の中央に、端正かつ堂々とした仏殿が立っています。

 

 

仏殿は、万治二年(1659)の建立になるそうです。仏殿には、本尊の釈迦如来などが安置されています。

 

 

仏殿の先、伽藍の最も奥には、明暦元年(1655)に建立された法堂があります。

法堂には、二代藩主前田利長の位牌も安置されています。

 

伽藍は、周囲およそ300メートル、左右対称の回廊で結ばれています。下の写真は、回廊の一部になります。

 

総門前の朱印所でいただいた御朱印には、本尊「釈迦如来」と書かれていました。

 

 

 

高岡大仏 (大仏寺)

高岡大仏は、高岡市大手町にある高さ15.85メートルの銅造阿弥陀如来坐像です。

 

 

高岡市の暗兄によりますと、日本三大仏と称されている銅造阿弥陀如来坐像は、そもそもは、今から
800年ほど前の平安時代末、摂津の国にすむ源義勝が承久の乱を避け、入道して越中に移り、一丈六尺
の木造大仏を造営したのが始まりになるそうです。
またその後、延享2年(1745)、坂下町の浄土宗極楽寺第15世等誉上人が、荒廃を憂い大仏再建を誓い、
弟子の良観を勧進職として高さ3丈2尺(約10m)の木造金色の仏像を建立したそうです。
その後、大火などで焼失、現在の大仏は、多くの人々の寄進と労力奉仕によって昭和8年(1933)に、
銅造りの像として作られたもので、極楽寺の末寺である大仏寺が管理しているそうです。

 

 

いただいた御朱印には、「阿弥陀如来」と書かれていました。

 

 

 

富山地区を訪れたのは9月2日、富山市の旧八尾町では「おわら風の盆」が開催されていました

おわら風の盆は、哀調の中に優雅さを漂わせる叙情豊かな踊りと音楽が、毎年30万人近い観光客

をひきつけるお祭りです。私も、夜は八尾に出かけてきました。

 

 

風の盆通りおどり

 

 

風の盆踊り手

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