楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

富士山周辺寺社の御朱印めぐり

富士浅間神社・久遠寺・北口本宮浅間神社・東口本宮浅間神社 めぐり

霊峰と称えられる富士山は、清らかで気高く美しいまさに日本一の山、この富士山自体を御神体にした富士信仰は奈良の時代に起こったそうです。

この霊山;富士山は一方で大噴火を繰り返す山でもあり、それを鎮めるために祀られているのが木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)、浅間神社の主祭神になります。

今回は、レンタカーで全国1300社と言われる浅間神社の総本社になる富士山元宮浅間大社(富士宮市)からスタート、日蓮宗の総本山;久遠寺を経由して本栖湖を抜け、北口本宮浅間神社、東口本宮浅間神社を回る富士山周遊御朱印めぐりの旅に行ってきました。

浅間大社 富士山本宮(静岡県)

富士山本宮浅間大社は、富士宮市にある神社です。
全国におよそ1300社あるという浅間神社の総本社となる神社であり、駿河の国の
一宮に列せられています。 

 祭神は、木花之佐久夜毘売命(浅間大神)です。
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)は、天照大神の孫である
ニニギノミコトと結婚、燃え盛る炎の中で初代天皇である神武天皇の祖父になる
ホオリ(山幸彦)を産んだと神話の世界で言い伝えがある美女神になります。
火を鎮める“水徳の神”として崇められ、富士山の噴火を鎮める神霊浅間大神と次第
に同一視されるようになっていったと言われています。

浅間大社入口

社の由緒によりますと、浅間大社の起源は第11代垂仁天皇3年(前27)、天皇が
富士山の噴火で荒れ果てた常態を憂い、浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮めら
れたことによるそうです。
また大同元年(806)坂上田村麿が平城天皇の勅命を奉じ、現在の大宮の地に壮大
な社殿を造営し、山宮から遷座され、現在にいたっているとのことです。

境内は、本宮が鎮座する現在の富士宮と富士山頂に鎮座する奥宮の二つに分か
れ、奥宮は八合目から上、約385万㎡が境内になるとのことです。

湧く玉池

本宮境内には、富士山の湧水が勢いよく湧き出している湧玉池(写真上)があ
り、国の天然記念物に指定されています。湧玉池自体が神域の趣を持っており、
ここに本宮が建てられた必然性を実感させられます。

社殿は慶長9年(1604)、徳川家康によって造営されたものだそうです。
度重なる地震などで倒壊したものがある中、本殿、弊殿、拝殿、そして楼門は当
時の建物が現存しているそうです。
楼門(写真下)は、慶長19年(1614)の建立になるそうです。

浅間大社楼門

本殿は、寄棟造の社殿の上に三間社流造の社殿が乗り、二重の楼閣造となる“浅間
造り”と呼ばれる珍しい形式で建てられています。

浅間大社社殿

 浅間大社朱印

久遠寺 (山梨県)

久遠寺は、山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の総本山になる寺院です。
久遠寺は、日蓮聖人が晩年の九年間を法華経の読誦と弟子たちの指導に明け暮れ
た場所であり、聖人の遺骨を心霊とともに祀っている日蓮宗の聖地でもあります。

 寺の縁起によりますと、日蓮聖人は信者であったこの地の地頭;南部実長の招き
により、文永11年(1274)身延山に入山、草庵に住まいし、弘安4年(1281)に
は旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山久遠寺」と命名され、これ
が久遠寺の創建と言われています。

弘安5年(1282)、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず
山を下り、常陸の国に向かいましたが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上
(東京都大田区)にて61年の生涯を閉じられました。日蓮聖人の遺言「いづくに
て死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」に従い、遺骨は身延山に祀られ
ることになったそうです。

久遠寺三門

土産物屋などが立ち並ぶ門前町を通り過ぎると威風堂々とした山門(写真上)が
目に飛び込んできます。仁王門とも言われ金剛力士像が祀られています。
山門をくぐるとまっすぐな参道(写真下)、急な階段を登りきったところが本堂
や祖師堂などの主要伽藍が立ち並ぶ所になります。

山門から続く参道

本堂は、1985年に建てられたもので、間口32メートル、奥行き51メートル、一度
に2500人もが入ることが出来るそうです。

久遠寺本堂

ひと際、目を引くのは五重塔です。現在の塔は、明治の大火により焼失した400年
前に建てられた元和の塔を2009年に復元、再建したものだそうで、ゆったりした
時間を演出してくれます。

久遠寺五重塔

境内には、2本の樹齢400年を超えるしだれ桜があり、花見の名所として4月には観
光バスをはじめ、多くの参拝客でにぎわいます。
写真は、報恩閣前のしだれ桜、残念ながら葉桜になります。

報恩閣前のしだれ桜

いただいた御朱印は、まずはお題目『南妙法蓮華経』が書かれています。

久遠寺お題目朱印

続いての御朱印は、『如蓮華在水』と書かれてものです。これは法華経の一節に
ある言葉で「沼地に蓮が咲いているかのように」という意味になります。
何度も迫害にあった日蓮聖人、「当時の乱れた世の中で、一輪の蓮の花のように
ありたい
」と思う心が伝わってくる御朱印です。

久遠寺朱印

久遠寺 奥の院

奥の院は、身延山山頂(1153m)にあります。奥の院へは、急こう配のロープウェ
イで登ります。登山道を徒歩で登ると2時間半ほどかかる所をロープウェイでは7
分ほどで登ることが出来ます。

ロープウェイ

日蓮上人は、この急な登山道を風雨をいとわず登られ、ご両親を偲んだといわれ
ますが、そのすごさに驚くとともに頭の下がる思いです。
思親閣はその山頂にあり、仁王尊像を祀る仁王門が境内を守護しています。

思恩閣仁王門

また、ここには、日蓮聖人お手植えと伝えられる4本の大杉があり、両親と恩師を
偲び、それに立正安国を祈念して聖人自らが植えられた杉だそうです。
写真は、4本の一つ、母に感謝し植えられた杉になります。

お手植え杉

奥の院でいただいた御朱印には、『育恩之峰』と記されています。風雨をいとわ
ず身延山山頂に登られ、安房小湊のご両親を偲んだと言われる聖人の「親の恩に
感謝することが人間の基本である
」というお考えが伝わってくる御朱印です。

久遠寺奥の院朱印

写真は、身延山山頂から、北側八ヶ岳の方向を写したものです。

身延山山頂北側

下の写真は、本栖湖からの富士山になります。

本栖湖からの富士

北口本宮 富士浅間神社 (山梨県)

北口本宮冨士浅間神社は、富士吉田市に鎮座し、主祭神には浅間大社と同様、
木花之佐久夜毘売命とその夫神であるニニギノミコト、それに父神になる大山祇
神を祀っています。
社の由緒によりますと、創建は景行天皇40年(110)、日本武尊が東征の折、
この地で富士の神霊を拝し、浅間大神と日本武尊を祀ったのが始まりと伝えられ
ています。

修善中の大鳥居

社によりますと、初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という
行者であるとされ、平安時代の頃に山岳信仰が普及し、登山を実践して修行する
修験道が各地で広まるとともに富士講が出現し、「富士山に登ること即ち祈り」
とする「登拝」
によって、人々は山頂を目指すようになったということです。

境内には、桃山様式の重厚感ある本殿(写真下)、西宮本殿、武田信玄造営の東
宮本殿などがあり、いずれも重要文化財になっています。

北口本宮

北口本宮浅間神社朱印

なお北口本宮冨士浅間神社は、富士登山道吉田口の起点となっているところであ
り、本殿の裏から登山道が山頂まで続いています。

吉田口登山道

新屋山神社 (山梨県)

新屋山神社 は、北口本宮冨士浅間神社から1キロほどの所にある神社です。
社の由緒によれば、新屋山神社の創建は、天文3年(1534)と言われ、明治23年に
本殿が造営され、さらに昭和48年に拝殿を造営、今日に至っているそうです。

山神社入り口

祭神は、木花開耶姫命の姉にあたる“磐長姫命”(イワナガヒメノミコト)で、
岩の永遠性を表す神で、不老長生の神として信仰されてきているとのことです。

山神社拝殿

新屋山神社には、富士山の2合目(標高1,500m)に奥宮があります。
霊験あらたかな富士山2合目、「イヤシロチ(弥盛地)」(地磁気などの関係でそこにいると
気分のよくなる土地)にあると言われる奥宮は、近年『金運神社』として、テレビで取り上げられ、
全国的に知られるようになり、遠方より参拝に訪れる人も多いとのことです。

下の御朱印は、本宮の御朱印です。富士山の印がきれいに押されています。

新屋山神社朱印

富士浅間神社 東口本宮 (静岡県)

東口本宮富士浅間神社は、静岡県駿東郡小山町須走、富士登山道須走口の起点と
なる神社です。地元では『須走浅間神社』と呼ばれているそうです。

須走入口鳥居

祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と共に大己貴命(おおな
むちのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)を祀っています。
社の由緒によりますと、創建は平安初期、延暦21年(802)に富士山の噴火があ
り、それを鎮めるために現在の須走の地で祭事を行った所、噴火は静まり、大同2
年(807)に鎮火のお礼に神を祀ったのが社の始まりと言われています。

入り口の鳥居をくぐると参道の中心に朱色の神門が建っています。

須走浅間神社神門

その先にある社殿は、木造の権現造りでどっしりとしたたたずまいを見せています。
現在の社殿は、宝永4年(1707)の富士山宝永山の噴火でいたんだものを、享保3
年(1718)に修造したものになるそうです。

須走浅間神社社殿

修験者の間で奈良の時代に始まった富士信仰は、江戸時代には広く庶民に広ま
り、中下層の商人や職人、農民などが講をつくり、富士山に詣でたそうです。
須走浅間神社は、富士信仰登山の基地として古くから栄え、社には、その講社の
人達によって奉納された石碑や、石灯籠が立ち並んでいます。

富士講奉納物

須走浅間神社朱印

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