楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

宇佐神宮から熊野磨崖仏など 国東半島 御朱印めぐり

宇佐神宮・熊野磨崖仏・両子寺・富貴寺・真木大堂 めぐり

大分県国東半島は、奈良時代から平安時代にかけてこの地に開かれた天台宗寺院を総称して『六郷満山』と呼ばれる仏教文化が栄えた所です。
奈良、平安・鎌倉の昔より、宇佐八幡宮の庇護の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成され、往時には半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊、を含めて約八百の堂、また石仏・石塔などが点在していたそうです。そして、今もその遺跡が半島の至る所に散在し、「仏の里」のただ住まいを見せています。

今回は、宇佐八幡宮をスタートに、レンタカーで「仏の里」国東半島を廻る御朱印めぐりの旅を紹介します。

宇佐八幡宮

宇佐八幡宮は、国東半島の付け根に立つ御許山山麓に鎮座する神社です。
豊前国の一宮で、全国に4万社余りあると言われる八幡神社の総本宮で、石清水八
幡宮、筥崎宮と共に日本三大八幡宮の一つに数えられています。

宇佐神宮入口

本殿は小高い丘陵の小椋山山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とがあ
り、その周りに社殿が広がっています。
写真は、西大門になります。16世紀の終わりごろ改築されたと言われる建物です
が、国宝の本殿や勅使門と共に、宇佐神宮の景観を象徴している建造物です。

宇佐鳥居と西大門

宇佐神宮楼門

写真の神宮内郭の正門にあたる勅使門(写真上)の奥に本殿(国宝)があります。
写真では見えませんが、左より順に一之御殿、二之御殿、三之御殿と並びます。
一之御殿から順に八幡大神、比売大神、神功皇后をお祀りしています。

宇佐神宮本殿

八幡大神は応神天皇の御神霊です。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新し
い国づくりをされた方です。神亀二年(725)、現在の地に御殿を造立し、八幡大
神をお祀りしたのが、宇佐神宮の創建になります。
八幡信仰とは、応神天皇を八幡神として称え奉るとともに、仏教文化と、我が国
固有の神道を習合したものと考えられています。

八幡大神は、道鏡神託事件などで皇室を護られたことから朝廷から厚く信仰され
てきました。また清和源氏をはじめ全国の武士も武運の神「弓矢八幡」として崇
敬を寄せ、一般の人々にも鎮守の神として親しまれてきました。
仏教の世界でも八幡大菩薩として崇められ、元寇の時に神風を吹かせた神は八幡
様であるとされています。

宇佐神宮屋根橋

上の写真は、境内を囲むように流れる寄藻川にかかる『呉橋』と呼ばれる神橋です。
鎌倉時代以前に、呉の国から来た人が建てたと言われる屋根のついた橋で、この
名があるそうです。

朱印宇佐神宮

川中不動と天念寺

 

天念寺の前の長岩屋川の大岩に、高さ3.23メートルの不動明王と2童子が彫られて
います。この像は、水害を押さえることを願い造られたのだそうです。
清流に、勇ましい顔で対峙する3体の像、素朴な雰囲気が印象的です。

川中不動

天念寺は、長岩屋山天念寺といい、養老二年(718)に仁聞(にんもん)菩薩が開基
したと伝えられる古刹です。天念寺は、かつて、十二院坊のあった六郷中山本寺
で、本堂には県指定文化財の木彫仏五体があります。

川中不動・天念寺

昭和16年の大水害で流された同寺本堂の再建資金を得るために、昭和36年に
中心の仏像であった阿弥陀如来立像は売られ、埼玉県入間郡名栗村の鳥居観音に
本尊として迎えられました。
大分県や豊後高田市や地元の尽力により阿弥陀如来立像は買い戻され、平成9年
11月13日に40年ぶりに無事里帰りを果たすことが出来たそうで、今、阿弥
陀如来立像は天念寺近くに建てられた 伝統文化伝習施設「鬼会の里」に展示され
ています。
なお、本堂は無人で、御朱印をいただくことはできませんでした。

両子寺

 

両子寺は、国東半島の中央部に位置し、半島の最高峰となる両子山(標高721m)
の中腹にある天台宗の寺院です。
山号は足曳山、本尊は阿弥陀如来、奥の院の本尊は十一面千手観音菩薩になります。

両子寺護摩堂

開基は養老二年(718)、国東半島の各地に点在するほとんどの寺を開き、石仏な
どを造られたといわる伝説的な僧“仁聞菩薩”であると伝えられています。
両子寺は、六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場になります。

両子寺仁王像

山門に続く石段には、2メートルを越える仁王像の石像(写真上)が、脇を固めていました。

両子寺奥の院

いただいた御朱印は、奥の院(写真上)の御本尊“千手観音”になります。

朱印両子寺

文殊仙寺

文殊仙寺は、国東町大恩寺にある天台宗の寺院である。山号は峨眉山、本尊は知
恵第一の仏、文殊菩薩である。
寺では、日本三大文殊の一つと称しており「3人寄れば文殊の知恵」の諺の発祥
の地として知られるお寺です。

地元では小学校入学までに文殊仙寺を訪れ、文殊の知恵を授かり無病息災を祈願
するのが習わしだそうです。

文殊仙寺仁王像

参道の入り口には、大きな仁王石像(写真上)が立ち、長い歴史を感じる石段を
上った所に山門、さらに日本一大きい高さ9メートルの宝篋印塔があります。

文殊仙寺山門

文殊仙寺塔

さらに進むと本尊の文殊菩薩が安置される奥の院文殊堂があり、飲むと智恵が授
かるとされる「智恵の水」が岩窟から湧出しています。

文殊仙寺本堂

いただいた御朱印には、文殊菩薩さまの別名になる“智母慈尊”と書かれていました。

朱印文殊仙寺

岩戸寺

 

岩戸寺は、両子寺から北東の海岸へと伸びる国道544号線の途中の国東町岩戸寺と
いう地域にある天台宗の寺院です。山号は石立山、本尊は薬師如来になります。
仁聞菩薩により開山されたと伝えられており、六郷満山末山本寺の一つになります。

岩戸寺本堂

岩戸寺の入口には、ひときわ目を引く一対の大きな丸彫の石像、仁王像が立っています。

岩戸寺仁王像

また、寺の裏には弘安6年(1283)の銘のある国東塔(高さ3.4m)があり、国東半
島に150基ほどある中で、最古の国東塔
であると言われており、国の重要文化財に
指定されています。

岩戸寺国東塔

なお、ご住職が不在で、御朱印はいただくことができませんでした。

 

富貴寺

 

富貴寺は、豊後高田市蕗にある天台宗の寺院で、仁聞菩薩の開基と伝えられてい
ます。山号は蓮華山、本尊は阿弥陀如来になります。

富貴寺入口

山門には、室町時代の作と言われる阿形、吽形の石像がおさまっていました。

富貴寺山門

国宝の大堂は、数少ない平安建築を伝えるものと言われ、一説には、平等院鳳凰
堂、中尊寺金色堂と並び称される“日本三大阿弥陀堂”と言われています。

屋根は宝形造りで三間四間の小ぢんまりした建物ですが、廻り縁がつき、優雅さ
を持ち、堂々とした雰囲気のお堂です。

富貴寺本堂

いただいた御朱印には、ご本尊の阿弥陀如来を表す梵字と“仏・法・僧”の三宝を表す
御宝印が押されていました。

朱印富貴寺

真木大堂

 

真木大堂は、六郷満山の本山本寺であった馬城山伝乗寺の堂宇のひとつであった
と伝えられる寺院です。

真木大堂入口

伝乗寺は、仁聞菩薩によって開創された六郷満山本山の寺院のひとつで、その中
でも七堂伽藍を有する最大規模の中心的寺院であったそうですが、およそ700年前
の火災により焼失、その草創については確たる文献も残っておらず、『幻の大
寺』とされている寺院です。

真木大堂本堂

真木大堂伝乗寺

真木大堂に収められた9体の仏像はその名残と伝えられ、地元の人々の厚い信仰
を集めてこの地で大切に保管されてきたそうです。
本尊の阿弥陀如来坐像をはじめ、いずれも国の重要文化財に指定され、藤原時代
の傑作です。
また境内は、この地域に散在していた石塔・石仏を損壊や紛失から守るためにこれ
らを一堂に集めた古代公園になっています。

真木大堂塔

いただいた御朱印は、本尊の“阿弥陀如来”と書かれています。

朱印真木大堂

 

熊野磨崖仏 胎蔵寺

熊野磨崖仏は、豊後高田市田染平野にある岩崖に刻まれた不動明王と大日如来の
二体の巨大な石仏です。

熊野磨仏 不動明王

熊野磨仏 釈迦

この熊野磨崖仏への登り口にあるのは、今熊野山胎蔵寺になります。
胎蔵寺の開基は養老二年(718)、宇佐神宮が作った寺で六郷満山寺院の一つとい
うことです。
33代前の住職が、紀州の熊野権現に出向き、胎蔵寺に熊野権現をお祀りし、今熊
野胎蔵寺と言うようになったということです。

胎蔵寺

胎蔵寺の脇から急な山道を300メートルほど分け入ると、鬼が一夜にして積み上げ
たという伝説が残る自然石を乱積にした石段“鬼の石段”があります。

熊野磨崖仏入口

磨崖仏階段

この急な石段を登りきると左手に、岩壁に刻まれた熊野磨崖仏が現れます。
熊野磨崖仏は、伝説上の僧、仁聞の作と言われていますが、正確な制作時期は不
明ですが、平安末期の1100年前後ではないかと言われています。
向かって左に位置する高さ約8メートルの半身像が不動明王になります。

熊野磨崖仏

風化が進行しているため、日本一雄大な石仏とも言われるように、不動明王像で
はありますが憤怒の相は見せず、口元に柔和な笑みを浮かべているようにも見え
るのが特徴です。
向かって右に位置する高さ約6.7メートルの半身像が大日如来像で、不動明王像よ
りも制作年代が下ると推定されています。

胎蔵寺でいただいた御朱印には“南無佛”と書かれています。「仏様に帰依します」
ということになるのでしょうか。

朱印胎蔵寺

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