楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

京都 三条河原町界隈 御朱印めぐり
地域:

誠心院・誓願寺・矢田寺・本能寺 御朱印めぐり

この記事では、阪急河原町駅をスタートし、和泉式部ゆかりの寺“誠心院”“誓願寺”に参拝、
さらに北に進み寺町通りに面する“矢田寺”、そして本能寺の変の舞台となった“本能寺”を
参拝する三条河原町界隈の御朱印めぐりを紹介します。

誠心院

誠心院は、阪急河原町駅から徒歩7,8分、新京極六角にある真言宗泉涌寺派の寺院です。
寺伝によりますと、誠心院の初代の住職は和泉式部で、その法名を誠心院専意法尼
になるそうです。娘の小式部に先立たれた和泉式部は、円教寺の性空上人に勧めら
れ、誓願寺の本堂に籠りご本尊に教えを受けたのが始まりと言うことです。

誠心院本堂

和泉式部は、情熱的な才色兼備の女性として知られ、様々な勅選集に246首の和歌
が取り上げられています。また敦道親王との恋の顛末を記した物語風の日記『和泉
式部日記』は、わが国の女流文学を代表する一つとしてよく知られています。
藤原定家が選定した小倉百人一首には「あらざらむ この世のほかの思い出に 今
ひとたびの 逢うこともがな」という魔性の女、和泉式部らしい歌が取り上げられ
ています。
小御堂と呼ばれる誠心院の本堂(写真上)には、本尊の阿弥陀如来と共に和泉式部
の像が安置されています。
境内には、式部の墓と伝えられる宝篋印塔や歌碑も建てられています。

和泉式部供養塔

山門の所には、当院に伝わる「和泉式部縁起絵巻」のパネルが展示されています。

和泉式部絵巻

いただいた御朱印は、”本尊阿弥陀如来”と墨書きされています。

誠心院朱印

誓願寺

誓願寺は、誠心院の北100m、京都市中京区新京極通りにある寺院です。
浄土宗西山深草派の総本山で、本尊は阿弥陀如来になります。
創建は天智天皇6年(666)、天皇の勅願により奈良に建立され、平安遷都後に京
都に移ったと伝えられています。

誓願寺

誓願寺扇塚

寺伝によりますと「法然上人」から続く浄土門の聖地として、また深い山間ではな
く、「街の中にあるお寺」、「暮らしに密着した信仰の場=念仏道場」として人々
に愛され続けてきたのが誓願寺になるそうです。
そのためか誓願寺にゆかりの深い歴史上の人物も多く、ことに「清少納言」「和泉
式部」といった女性たちからの深い信仰を集めたため「女人往生の寺」とも称され
ているそうです。
誓願寺では、和泉式部をデザインしたオリジナルな御朱印帳が販売されています。

誓願寺帳5

いただいた御朱印には、「阿弥陀如来」と本尊が書かれていました。

誓願寺朱印

矢田寺

 

矢田寺は、誓願寺から北へ200メートルほど、寺町通り沿いの繁華街の一家にある
寺院です。
浄土宗の寺で、山号は金剛山、本尊は地蔵菩薩になります。
寺の案内によりますと、矢田寺は、奈良の矢田寺の別院として700年代に建てられ
たのが始まりになるそうで、本尊の地蔵菩薩は日本で最初の地蔵菩薩になるのだそ
うです。

矢田寺入口

地獄の火焔の中に身を置いている「代受苦地蔵」と呼ばれるこの地蔵菩薩は、矢田
寺の開山になる満米上人が地獄を見て、炎で煮えたぎる釜の中に落ちた人を救って
いる僧呂の姿に感銘を受けて、その姿を仏像にして祀ったものと伝えられています。
地獄に落ちた人までも救おうとする本当に慈悲深い地蔵菩薩様と言えそうです。

矢田寺本堂

いただいた御朱印には、”矢田地蔵尊”と書かれていました。

矢田寺朱印

本能寺

本能寺は、矢田寺から北の方向へ300m、河原町御池交差点の近くにある法華宗の
大本山になる寺院です。
“本能寺の変”で織田信長が明智光秀にうたれた寺として有名ですが、
当時の本能寺は、堀川四条の方にあったそうです。
寺の縁起によりますと、本能寺の創建は応永二十二年(1415)になるそうで、日隆
聖人が開山で、『法華経』の根本義と日蓮聖人の真意を伝える大霊場として創建さ
れた寺だそうです。

本能寺入口

信長公は、上洛の度に本能寺に立ち寄り、当時住職であった日承上人の教化を受け
ることを無常の喜びとしていたそうです。
本堂(写真下)の裏には、信長公の御廟所があります。

本能寺本堂

いただいた御朱印には、”妙法”と書かれています。

本能寺朱印

『法華経』の正式名称が『妙法蓮華経』であることから、一般的には、“妙法”とは
“法華経”のことになります。

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