楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

大阪 御堂筋・ミナミ 御朱印めぐり
地域:

坐摩神社・難波神社・今宮戎・生國魂神社 めぐり

御堂筋は、大阪市の中心部を南北に走る、銀杏並木が続く道路をいいます。
今回は、御堂筋本町駅近くに鎮座する坐摩神社から難波神社、ミナミの今宮戎そして
安居神社、生國魂神社に至る5社を巡ってきました。

坐摩神社

坐摩神社は、大阪市中央区久太郎町にある摂津国一之宮に列せられる神社です。
祭神は、5柱で“坐摩大神”(いかすりのおおかみ)と総称されています。
社の由緒によりますと、当社の創建には諸説がありますが、神功皇后が新羅より帰還の折、
淀川南岸、現在の天満橋の西方に奉祀されたのが始まりとされています。
“坐摩”の語源にも諸説あるそうですが、「土地や居住地を守り給う」意味の居所知が転じた
名称といわれています。

座間神社(大阪)

現在の社殿(写真上)は、昭和34年(1959)に戦前の姿のままに鉄筋コンクリート造で
再建されたものだそうです。
初代桂文治が寄席を開いた故事に則り、境内に「上方落語寄席発祥の地」の記念石碑が建立されています。

落語発祥の地

いただいた御朱印には、神紋の白鷺(鷺丸)が押印されていました。

大阪 坐摩神社朱印

難波神社

難波神社は、坐摩神社から徒歩2,3分の御堂筋沿い、大阪市中央区博労町にある神社で、
主祭神に“仁徳天皇”を祀っています。

難波神社入り口

寺の紹介によりますと、反正天皇が大阪府松原市を開かれたとき、父帝の仁徳天皇を祭神として
創建されたと伝えられる。
その後、豊臣秀吉が大阪城を築城したのちの天正年間1583年に現在地に遷座となったそうです。
社殿は、戦災で焼失、現在の本殿は昭和49年(1974)に再建されたものになります。

 難波神社本殿

毎年6月には、神紋が花菖蒲であることから、境内で育った花菖蒲を御神前に御供えする神事
あやめ祭り”が行われます。
いただいた御朱印にも、きれいにあやめの花が咲いていました。

朱印 難波神社

今宮戎神社

今宮戎神社は、大阪市浪速区恵美須西一丁目にある神社で、商売繁盛の神様「えべっさん
として親しまれています。
祭神に、天照皇大神や事代主神など5柱を祀っています。
その中で“事代主神”が“えびす”、商売繁盛の神として、篤く信仰されています。

今宮戎神社境内

今宮戎神社本殿

社の歴史によりますと、創建は推古天皇の御代で、聖徳太子が四天王寺を建立されたときに
西方の鎮護としてお祀りされたのが起源だそうです。
1月9・10・11日の三日間で行われる当社の祭礼“十日戎”は、毎年およそ100万人の参詣者があり、
大変な賑わいになるそうです。まさに商人の町、大阪と言った感じがします。
本殿は、昭和31年に再建されたものだそうです。

「えべっさん」と言えば”鯛”、右上には鯛がおされていました。

今宮戎朱印

安居神社 

安居神社は、大阪市天王寺区にある神社で、“安居天満宮”とも称します。
祭神として少彦名神、菅原道真公を祀っています。
創建年は不詳とのことですが、聖徳太子が四天王寺を建てたころではと言われています。

安い天満宮本殿

大坂夏の陣で、真田幸村が当社境内で戦死したと伝えられていて、石碑や幸村の像が建てられています。

安い天満宮幸村

いただいた御朱印には、『真田幸村公戦死の地』と書かれていました。
そして左上には、真田家の家紋”六文銭”が押されています。
これで幸村も無事に三途の川を渡り、極楽浄土にたどり着けたのではとおもいます。

安居天満宮朱印

生國魂神社

生國魂神社は、地下鉄谷町九丁目駅から徒歩で3分程度の大阪市天王寺区にあり、生玉(いくたま)さん
の通称で親しまれている神社です。

主祭神に、生島大神と足島大神の2柱を祀っています。

生玉神社入り口

 社伝によりますと、創建は神武天皇の時代と言われ、神武東征のおり、難波碕に日本列島そのものの神
である生島大神と足島大神を祀り、国家安泰を祈願したことに始まるそうです。

生玉神社本殿

現在の社殿は戦後に再建されたコンクリート造ですが、本殿は桃山時代の遺構を伝えている建物だそうです。

境内には、皇大神宮や稲荷神社など11もの境内社が祀られています。

下の写真は、境内社の一つ“城方向八幡宮”になります。
大阪城の鬼門を護る八幡宮で、大坂城の方を向いて北向きに建てられています。

生玉神社八幡宮

生國魂神社朱印

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