楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

大阪天満宮・お初天神 御朱印めぐり
地域:

大阪天満宮・お初天神・太融寺 御朱印めぐり

大阪市北区の大阪天満宮が鎮座する天満から、曽根崎心中で知られるお初天神が鎮座する梅田界隈の寺社を尋ねる御朱印めぐりを紹介します。

大阪天満宮

大阪天満宮は、大阪市北区天満橋にある主祭神に菅原道真公を祀る天満宮で、大阪市民からは
「天満の天神さん」として、親しまれています。

大阪天満宮門

社の歴史紹介によりますと、創建は、天暦3年(949)村上天皇の勅命により、当地にあった
大将軍社の地に天満宮を建立したことが始まりということです。
現在の本殿(写真下)は、火事で焼失したために、弘化2年(1845)に再建された権現造りの建物になります。

高田郁のベストセラー小説「銀二貫」のなかでも、大阪を襲うたびたびの大火、焼失を繰り返す
天満宮の再建に奔走する大阪商人の「天神さん」にかける想いが恋物語も交えて語られていますので、
興味のある方は一度読んでみてください。

大阪天満宮本堂

大阪天満宮境内

大阪天満宮ご朱印

大阪天満宮の参道は、大阪らしい商店が並ぶ“天満橋商店街”のアーケードが、JR天満駅まで続きています。

大阪天満宮参道

お初天神(露天神社)

お初天神は、大阪市北区曽根崎にある神社で、正式名称を「露天神社」といいます。
社の由緒によりますと、当社は大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、「住吉須牟地曽根ノ神」
を祀ったのが始まりで、創建年代は正確には不詳と言うことですが、6世紀ごろと言われています。

お初天神本殿

社の紹介によりますと「露天神社」という社名の由来は、菅原道真公が太宰府に配流される道すがら、
当地で「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」と詠まれた歌に因んでいると言われ
ています。
「お初天神」の名は、元禄16年(1703)に当神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門
が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。
以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったわけです。

お初

お初・徳米像

「曽根崎心中」は、元禄16年に起こった、遊女「お初」と平野屋という店の手代「徳兵衛」が当神社の
境内にて情死した事件をもとに、近松門左衛門が劇化したものです。
今日でも、恋の成就を願う多くの人々が参拝に訪れています。

お初天神朱印

太融寺

太融寺は、お初天神から徒歩5分程度の北区太融寺町にある高野山真言宗の寺院です。

太融寺門

山号は“佳木山”、本尊は“千手観世音菩薩”、新西国三十三所霊場第2番札所になっています
寺の縁起によりますと、創建は弘仁12年(821)、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師空海の
開基によるそうです。
写真は、昭和35年に再建された本堂になります。

 太融寺本堂

いただいた御朱印は、観音様のいらっしゃるお堂“大悲殿”と書かれています。

太融寺朱印1観音

また、一願堂には石仏の不動明王が安置され、“一願不動”と称し、「一願成就の利益あり」
多くの人に親しまれ、近畿三十六不動尊霊場第6番札所になっています。

太融寺不動も湯王

いただいた御朱印にも、“一願不動”と墨書きされています。

太融寺朱印2

国分寺

国分寺は、大阪市北区、地下鉄の天神橋筋6丁目駅から徒歩3分程度の所にある真言宗の寺院です。
山号は護国山、本尊は薬師如来になり、西国薬師霊場の一つになっています。

国分寺全景

国分寺本堂

寺の縁起によりますと、斉明天皇が659年、唐より帰国した僧の道昭に命じて、孝徳天皇の菩提
を祈るために建立した「長柄寺」が起源になるそうです。
その後、天平13年(741)聖武天皇の国分寺創建の詔勅により、「国分寺」と称するようになったそうです。
いただいた御朱印は、本尊「薬師如来」になります。

国分寺朱印薬師如来

また国分寺は、近畿三十六不動尊霊場第7番のお寺になっており、“宝不動”の御朱印もいただいてきました。

国分寺朱印宝不動

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