楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

京都 仁和寺・龍安寺・金閣寺 御朱印めぐり
地域:

仁和寺・龍安寺・金閣寺・妙心寺 御朱印めぐり

御室から金閣寺にかけては、仁和寺、金閣寺、龍安寺など世界文化遺産に登録されている寺院が多い所です。
金閣寺の舎利殿、龍安寺の石庭はあまりにも有名ですし、御室御所と呼ばれる仁和寺や大伽藍で有名な妙心寺など、この界隈の御朱印を求めて巡ってきました。

妙心寺

JR嵯峨野線の花園駅から徒歩3分で、妙心寺の境内に到着します。
妙心寺は、京都市花園にある臨済宗妙心寺派の大本山になります。
本尊は釈迦如来、開基は花園天皇、開創年は建武4年(1337)になります。

寺伝によりますと、この地域には公卿の邸が多く、お花畑があって、四季折々に美しい花が咲き乱れ、
いつしか「花園」と呼ばれるようになったそうです。

第95代天皇、花園法皇は、この地をこよなく愛しここに離宮を構えていましたが、禅の奥義を究めるとともに
世の中の平和を願われ、この花園の離宮を改めて禅寺にされました。これが、妙心寺のはじまりだそうです。
現在の妙心寺は、塔頭46寺、末寺は日本をはじめ世界各国にわたり3,400寺におよぶ大寺院です。
花園高校などの学校は関連機関になります。

妙心寺

開山堂は室町時代、勅使門は桃山時代に建てられたものですが、三門、仏殿、法堂などの中心伽藍は
江戸時代に再建されたものです。
周囲には多くの塔頭が建ち並び、一大寺院群を形成していて、境内の広さには驚くばかりです。
下の写真は、江戸時代に建てられた本尊の釈迦如来を安置する仏殿になります。

 

妙心寺2

 

御朱印は、本尊の『釈迦如来』をいただきました。

 

妙心寺朱印

 

 

退蔵院

妙心寺の塔頭の一つが、勅使門の近くにある史跡・名勝の庭で知られる退蔵院です。
退蔵院は、1404年、越前の豪族波多野出雲守が、妙心寺第三世無因禅師を開山として創建した寺になります。
方丈の庭園は、狩野元信の作として知られ、室町時代を代表する枯山水庭園です。

退蔵院石庭

また、南庭は中根金作氏の作庭で”余香苑”と名付けられています。
巨岩の間から流れ落ちる龍王の滝が見事な景観をつくっています。

退蔵院庭

いただいた御朱印にも、この昭和の名庭「余香苑」と書かれていました。

退蔵院朱印

仁和寺

妙心寺の北門を出て、北西方向へ7,8分歩けば仁和寺になります。

仁和寺三門

仁和寺は、真言宗御室派総本山の寺院であり、本尊は阿弥陀如来、開基は宇多天皇です。
下の写真は、本尊の阿弥陀如来が安置されている国宝の金堂になります。

仁和寺金堂

仁和寺は、皇室とゆかりの深い門跡寺院で、出家後の宇多法皇が住いしたことから、「御室御所」と称されました。
“御室”とは、天皇の住居ということを意味します。
明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになりました。
門跡寺院として格式が高く、また、「徒然草」「方丈記」など古典にも数多く登場する寺院です。

下の写真は、御殿の内部と御殿から見た三重塔になります。

御殿の間

御殿から三重塔

いただいた御朱印にも、『菊紋』と共に『旧御室御所』と書かれていました。

 

仁和寺菊紋御所朱印

 

境内の中門内の西側一帯にある背丈の低い遅咲きの桜は、「御室桜」と言われ、
国の名勝に指定されていて、毎年4月中頃は花見客で賑わうことで知られています。

御室桜全景

 

いただいた御詠歌の御朱印には、『わけのぼる 花の嵐の梢より 御室の山に 月ぞかがやく
と月に映える御室桜の見事さが詠われています

 

仁和寺御詠歌

ちなみに、世界的なエレクトロニクス企業の“オムロン”は、御室で生まれた企業であり、
社名もそれに由来するとのことです。
仁和寺は、また、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもあり、参拝時、御殿の玄関には、
御室流の生け花が飾られておりました。

 

御室流いけばな

 

龍安寺

仁和寺から北東の方向へ1キロほど歩いた所が龍安寺になります。
龍安寺は、臨済宗妙心寺派の寺院で“石庭”で知られています。
本尊は釈迦如来、開基は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承、1450年の創建になります。

竜安寺参道

「龍安寺の石庭」方丈庭園は、幅 22 メートル、奥行 10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、
帚目を付け、15個の石を点在させただけのシンプルな庭です。
そして周囲を高さ180センチの油土塀が囲っていて、モノトーンの石庭を引き立たす名画のフレーム
の役割を担っています。
中国の山水の世界を、禅宗特有のわび、さびで写した「枯山水」の庭になっています。

 

竜安寺石庭

また寺の南側には、国の名勝に指定されている広大な鏡容池があり、周囲は回遊式庭園になっています。

竜安寺池

いただいた御朱印にも『石庭』と力強く書かれていました。

龍安寺朱印

等持院

龍安寺からきぬかけの道を金閣寺に向かう途中、立命館の裏手にある等持院に行ってきました。
等持院は、臨済宗天竜寺派の寺院であり、本尊は釈迦牟尼仏で足利尊氏の墓所として知られています。

足利尊氏が衣笠山にあった仁和寺の一院をこの地に移し、夢窓疎石を開山として、1341年に建立した
のが等持寺の始まりと言われています。
等持寺の名の由来であるが、一寺を建てて三寺に当てるべく、「寺」の字を三つよせて「等持寺」と
名付けたそうです。
尊氏の死後、墓所となり、その名を「等持院」に改称したそうです。
写真は、方丈にある“祖師像”です。

等持院達磨

いただいた御朱印には、『利運地蔵尊』と書かれています。
これは、霊光殿の中央に祀られている地蔵尊で、尊氏の守り本尊であったものだそうです。

等持院朱印

夢窓国師作と伝えられる庭園は、衣笠山を借景にした池泉式回遊庭園になります。

等持院庭

等持院庭2

金閣寺

等持院から、きぬかけの道に戻りおよそ15分で金閣寺に到着です。
金閣寺は、臨済宗相国寺派の寺院で、正式名は“鹿苑寺”になります。
舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
寺伝によりますと、元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、
山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。

金閣寺入り口

金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父
である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、
この時代の文化は後に北山文化と言われています。
義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字を
とって鹿苑寺と名づけられたそうです。

金閣寺2

鏡湖池に臨む三層の楼閣は、二層・三層に金箔をはった室町期楼閣建築の代表的例です。
三層に仏舎利を安置しているため“舎利殿”と言われています
写真は、鏡湖池に自姿を映す金閣寺舎利殿になります。

金閣寺縦


三島由紀夫の小説“金閣寺”で知られるように、
現在の金閣は昭和25年火災で焼失したものを再建したものになります。
いただいた御朱印にも、『舎利殿』と書かれていました。

金閣寺朱印

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