楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

京都 南禅寺から哲学の道・銀閣寺 御朱印めぐり
地域:

南禅寺・銀閣寺・永観堂・法然院 御朱印めぐり

地下鉄東西線蹴上駅から南禅寺に向かい、哲学者西田幾多郎が歩いた
“哲学の道”沿いを銀閣寺まで歩くご朱印めぐりを紹介します。

南禅寺

地下鉄東西線蹴上駅で降り、「ねじりまんぽ」と呼ばれる胎動を抜け北へ5,6分も歩けば南禅寺
の参道に入ります。
南禅寺は、臨済宗南禅寺派の大本山で、本尊は釈迦如来です。
1291年、亀山法皇が無関普門(大明国師)を開山に迎えて開創した寺院で、室町時代は隆盛を極め、
鎌倉五山、京都五山の上に置かれる別格扱いの寺院でした。
境内は、木立の中に勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線に並ぶ、禅宗特有の形をとっています。
下の写真は、法堂になります。

南禅寺本殿

小方丈の襖絵、狩野探幽筆「水呑の虎」は名高いもので、大方丈の前庭(名勝)は、
小堀遠州作で「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水庭園として知られています。

南禅寺枯山水

南禅寺の山門は、歌舞伎の“楼門五三桐”で石川五右衛門が「絶景かな絶景かな……」という名せりふで有名です。
現在の山門は、1628年に、藤堂高虎が大坂夏の陣に倒れた家来の菩提をともらうために、再建したものだそうですが、禅宗の力強さを感じる圧倒的な存在感を誇っています。下の写真は、山門の夏と秋になります。

南禅寺三門の夏

南禅寺三門秋

明治時代1888年に建設された南禅寺境内南東の端を走る琵琶湖疏水の水道橋(水路閣)は、
レンガ造りとアーチ型の橋脚を持つ風格ある構造物
で、異彩を放ちながらも格式ある禅宗寺院の
境内にすっぽりと溶け込んでいるように感じます。
下の写真は、水路閣の夏と秋になります。

南禅寺水路閣夏

南禅寺水路閣

御朱印には、『金剛王宝殿』と書かれています。
これは、南禅寺の中心となる建物である法堂の別名になります。

南禅寺朱印

永観堂 (禅林寺)

南禅寺に前の道を北へ5分ほど歩いた所にあるのが、永観堂です。
永観堂は、正式名称を“禅林寺”といい、本尊は阿弥陀如来、浄土宗西山禅林寺派の総本山になる寺院です。

永観堂門

寺伝によりますと、853年、弘法大師の弟子である真紹が、真言密教の道場としたのが始まりと言われています。
永観堂は永観律師(1033-1111)の時代に、大きく変わっていきます。
律師は、自らを「念仏宗永観」と名のられる程、弥陀の救いを信じ、念仏の道理の基礎の上に、
窮乏する人達を救われたそうです。
禅林寺を永観堂と通称するのは、永観律師に由来しているそうです。
そしてさらに鎌倉時代になりますが、静遍僧都が法然の浄土宗の教えに帰依され、浄土宗の寺院に
変わっていったとのことです。下の写真は、本堂になります。

永観堂4

永観堂は、紅葉の名所として知られ、毎年11月末のシーズンには一時間待ちの長蛇の列が出来るほどです。

永観堂7

永観堂8

禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた『みかえり阿弥陀』の像になります。
御朱印にも、『顧(みかえり)阿弥陀如来』と書かれています。

永観堂朱印

熊野若王子神社

永観堂を出て北へ進み、哲学の道に入った右側に佇む神社熊野若王子神社です

熊野若王子神社

『哲学の道』は若王子神社から法然院下、そして銀閣寺に至る琵琶湖疏水べりの小道、
約1.5キロのことを言います。

哲学の道

日本の道百選にも選ばれている道で、哲学者西田幾多郎が散策、思索にふけったといい、
この名がついたそうです。
道の中ほどの法然院近くには、西田幾多郎が詠んだ歌
「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾は行くなり」の石碑
があります。

西田幾多郎

熊野若王子神社は、34回も熊野御行を行った後白河法王が永暦元年(1160)に
熊野権現を勧請したのが始まりで、熊野神社・新熊野神社とともに京都三熊野のひとつに数えられています。

熊野若王子神社朱印

熊野若王子神社近くの哲学の道には、猫が多くいて道沿いには粋な“猫の休み所”も設けられています。

哲学の道猫

法然院

熊野若王子神社から哲学の道を15分ほど北へ歩くと、山側に5分ほど入った所にあるのが
浄土宗系の寺院、法然院です。

浄土院

寺の起こりは、鎌倉時代に、法然が弟子たちと共に六時礼讃行を修した草庵に由来するといわれ、
本尊は阿弥陀如来になります。

浄土院庭

法然院は、元は浄土宗内の独立した一本山でしたが、1953年に浄土宗より独立し、
単立宗教法人となったそうです。
谷崎潤一郎などの著名な文人や学者の墓が数多くあるということです。
いただいた御朱印には、「南無阿弥陀仏」と書かれていました。

法然院朱印

銀閣寺 (慈照寺)

法然院から哲学の道をおよそ500メートル、10分ほどで銀閣寺に到着です。
銀閣寺は、正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つになります。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったためといわれています。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院と
なり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。
銀閣寺を象徴する建物は、銀閣と呼ばれる『観音殿』で、その前には、池泉回遊式庭園が広がっています。

銀閣寺5

銀閣寺

 さらに方丈の前庭にある白砂の砂盛り、向月台と波紋を表現した銀沙灘も
銀閣寺らしい見どころの一つです。

銀閣寺庭

御朱印には、『観音殿』と書かれていました。

銀閣寺朱印

浄土院

浄土院は、銀閣寺に入る直前左脇にある浄土宗の寺院です。山号は清泰山、本尊は阿弥陀如来になります。
五山送り火の一つ「大文字」を管理することから「大文字寺」とも呼ばれています。

 

浄土院の創建年は不詳とのことですが、元々は「浄土寺」と言い、由緒ある天台宗の寺であったそうです。
泰誉上人が住職の時に改宗し現在に至ったようです。

 

毎年8月16日に京都で行われる「大文字焼き」は、大同三年(808)、疫病や飢饉が相次いだ折、弘法大師が
勅命を受け、東山如意が岳に人体の大文字の法壇を設け、密行を行ったのが始まりになり、その後、お精霊送り
と併せ行われるようになったようです。

いただいた御朱印には、如意が岳に灯る“大の火”と「弘法大師」と書かれていました。

 

ページトップ