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御朱印めぐりの旅

甲府市内 神社御朱印めぐり

武田神社・穴切大神社・稲積神社・酒折宮 甲府市内 神社御朱印めぐり

 

この記事では、山梨県甲府市にある武田神社、穴切大神社、稲積神社、酒折宮などをめぐる甲府市内神社御朱印
めぐりを紹介しています。

 

 

武田神社 

 

武田神社は、甲府駅の北、およそ3キロの武田氏館跡;甲府市古府中町に建てられた、武田信玄を祭神として祀る神社です。

創建は、大正八年(1919)であり、大正天皇の即位記念に、武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、「武田神社奉建会」
が設立され、大正八年に社殿の建立がなされたそうです。

武田神社入り口

 

武田信玄は、大永元年(1521)神社近くの石水寺要害城で生れ、天正元年に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えて
います。

21歳の時に国主となって以来30年余、緒戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぎ、特に治水工事、農業・
商業の隆興に力を入れ、領民に深く愛された殿様です。
現在でも地元では、「信玄さん」と敬慕の情をこめて呼ばれ、郷土の英雄として称えられているそうです。

 

写真は、拝殿になります。この奥に本殿が構えています。

 

武田神社本殿前

 

 

いただいた御朱印の右上には、『風林火山』の軍配が押印されています。

武田神社朱印

 

 

酒折宮

 

酒折宮(さかおりみや)は、甲府市酒折にある神社です。

祭神は、古事記や日本書紀で日本の国土を平定したという日本武尊になります。

創建年などの詳細は不詳とのことですが、日本武尊の東征の時に、この酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が起源になるそうです。

酒折宮入口

酒折宮本殿

 

社の紹介によりますと、日本武尊が東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄り、
 「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌で問いかけたところ、

御火焚の者が「かかなべて夜には九夜日には十日を」と片歌で答えたことが記載されているそうです。この問答歌のやりとりが日本における連歌の起源とされ、当社は「連歌発祥の地」になるそうです。境内には、この連歌を刻んだ石碑(写真下)が建っています。

酒折宮連歌の碑

いただいた御朱印にも、「連歌発祥の地」と書かれていました。

酒折宮朱印

 

 

 

穴切大神社

 

穴切大神社(あなぎりだいじんじゃ)は、甲府市宝二丁目に建つ神社です。祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、
少彦名命(すくなびこなのみこと)、素戔鳴命(すさのおのみこと)の3柱になります。

穴切神社入口

大昔、湖の底であった甲府盆地を、山を切って穴を開けて水を富士川に落とし、肥沃な土地に変えたという「湖水伝説」
が、社名にも残っている神社です。

 

随神門は、楼門になります。

穴切神社随神門

 

本殿の建立年代は不詳とのことですが、様式的には桃山時代と見られ、重要文化財に指定されています。

穴切神社本殿

穴切神社朱印

 

 

稲積神社

 

稲積神社(いなづみじんじゃ)は、甲府市太田町にある稲荷神社です。

祭神は、稲荷神の宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) 大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
の2柱になります。

稲積神社入口

 

今から2080年前の第十代崇神天皇の御代、四道将軍武淳川別命が東征の折、湖沼地帯であった甲府盆地に入国、
湖岸を切り開き湖水を富士川に落して涸燥して、田圃を造り蒼生愛撫、五穀豊穣祈願のため、丸山に奉斎したの
が起源という甲府盆地湖水伝説が残る神社です。

稲積神社本殿

稲積神社朱印

 

甲斐奈神社

 

甲斐奈神社(かいなじんじゃ)は、甲府市中央にある神社です。

 

主祭神は、白山大神;菊理姫命(くくりひめのみこと)と浅間大神;木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
の2柱になります。

甲斐奈神社入口

 

創建当初は、北方にたつ愛宕山(甲斐奈山)の山頂に鎮座していましたが、武田信虎により蔵田に移され、その後

天文年間(1532~1555)に現在の地に遷座したそうです。

甲斐奈神社本殿

甲斐奈神社朱印

 

 

山梨県護国神社

 

山梨県護国神社(やまなしけんごこくじんじゃ)は、甲府市岩窪町にある戊辰戦争以来の山梨県関連の戦没軍人・
軍属の英霊を祀る神社です。

山梨県護国神社入口

 

創建は明治十二年(1879)、市内太田町に建立され、昭和十七年に現在の地に遷座したそうです。

山梨県護国神社

山梨県護国神社朱印

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