楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

長野県 上田市 御朱印めぐり

信州 上田 御朱印めぐり

 

この記事では、真田幸村の出生地、長野県上田市にある寺社をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介しています。

 

真田神社

 

真田神社は、長野県上田市二の丸、上田城跡公園内、本丸跡に建つ神社です。

下は、真田神社の前に建つ、上田城の櫓門になります。

真田神社櫓門

上田城は、真田昌幸、幸村で有名な真田氏が天正十一年(1583)に築いた城で、二度にわたって大軍の徳川軍を
退けた名城として知られています。

 

真田・仙石・松平 の歴代上田藩主を祀っており、祭神は真田昌幸、長男の信之父子のほか、江戸時代に 上田
領していた仙石、松平両家の歴代藩主になります。

真田神社入口

 

社の案内によりますと、もともとは松平家の先祖をお祀りする御宮で、松平(しょうへい)神社と称していたようです。

上田城主となった藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号したそうです。
寛文九年(1669)に亡くなられた忠山公の御墓は京都の金戒光明寺にあります。
その京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられ、それが当社の起源になるそうです。

明治十二年(1879)、旧藩士などの有志により出された松平神社創立願が長野県より許可されたそうです。

そして、昭和二十八年(1953)に真田氏と仙石氏、そして松平氏の歴代全城主を合祀して、松平神社から
上田神社と改称したそうです。

また同名神社が存在したこともあり、昭和三十八年、初代城主であり上田の繁栄の基を築いた真田氏の名を
冠して、眞田神社と再度改称し今日に至っているそうです

真田幸村(信繁)公が身に着けたといわれる巨大な鹿角脇立朱塗兜が存在感を放っています。

真田神社オオカブト

真田神社

写真は、本殿横にある大井戸になります。

この井戸からは抜け穴があって、城の外に通じていたという言い伝えがあるそうです。

真田神社井戸

 

いただいた御朱印は、3つです。

 

一つは、通常の「真田神社」の御朱印です。

真田神社朱印

 

 

二つ目は、昌幸公の兜が押された見開きの御朱印です。

真田神社 見開き朱印

 

三つ目は、幸村公の赤兜が押された見開きの御朱印です。

真田神社赤カブト朱印

 

 

 

長谷寺

 

長谷寺(ちょうこくじ)は、真田の里、上田市真田町長にある曹洞宗の寺院で、山号は真田山、本尊は釈迦牟尼仏になります。

 

創建は天文十六年(1547)、真田幸隆が開いた真田氏の菩提寺になります。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓があります。

 

枝垂れ桜の大木の下には、六文銭が刻まれた石門(写真下)があります。

長谷寺石門・枝垂れ桜

長谷寺六文銭

下は、本堂になります。

長谷寺本堂

 

いただいた御朱印には、「釈迦牟尼仏」と書かれていました。

長谷寺朱印

 

山家神社 

 

山家神社(やまがじんじゃ)は、真田の里、上田市真田町長にある神社です。当社から北東へ10数キロの所にある
四阿山(標高2354m)の山頂には、山家神社奥宮があり、
真田の里に建つのは山家神社本宮と呼ばれています。

山家神社入口

 

主祭神に、大国主神 、伊邪那美神(いざなみのかみ)、菊理媛神(くくりひめのかみ)を祀っています。

 

創建年などは不詳とのことですが、後醍醐天皇の時代に編纂された延喜式(927)に記載がある由緒ある神社です。

真田一族のほか歴代の上田城主にあつく崇敬され、真田信綱・昌幸文書などは、社宝となっているそうです。

山家神社社殿

 

下は、山家神社の御朱印です。

山家神社朱印

 

 

山家神社は、かつては神仏混淆、境内には白山寺という寺院が建てられていて「白山大権現」と称えられていたそう
ですが、明治維新の神仏分離令によって廃寺となり、現在は、その跡地に真田神社(写真下)が建立されています。

山家神社真田神社

 

 

いただいた御朱印の一つは、開山400年記念の「白山宮」の御朱印を見開きでいただいてきました。

山家神社白山宮朱印

 

下は、跡地に建つ真田神社の御朱印です。

山家神社真田神社朱印

 

 

信綱寺

 

信綱寺(しんこうじ)は、上田市真田町長にある曹洞宗の寺院です。山号は大柏山、本尊は釈迦牟尼仏になります。

 信綱寺山門

長篠の合戦で武田方の武将として織田信長と戦い、最後を迎えた真田信綱と昌輝(真田昌幸の二人の兄)の墓があるお寺です。

創建は室町時代になるようです。

 

信綱寺本堂

山門の前には、六文銭のモニュメントが建つ古城緑地公園があります。

 

信綱寺公園

いただいた御朱印には、「金毘羅大権現」と書かれていました。金毘羅さんは、信綱公の守護佛だったようです。

 

信綱寺朱印

 

 

生島足島神社

 

生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)は、上田市下之郷にある神社です。

主祭神は、万物を生み育て生命力を与える神といわれる生島大神(いくしまのおおかみ)と国中を満ち足らしめる
神という
足島大神(たるしまのおおかみ)の2柱になります。

生島足島神社入口

 

社の由緒によりますと、創建年などは不詳のようですが、諏訪神である建御名方富命が、諏訪へ向かっていた時、
この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという言い伝えがあるそうです。
その故事は、今も御籠祭という神事として伝えられているそうです。

当社は、神池に囲まれた小島(神島)の上に鎮座する「池心の宮園池」という古代的様式で建立されています。

生島足島神社全景

 

現在の社殿は、昭和十六年に建てられたものです。

 

北面して鎮座し、摂社諏訪神社(下の宮)と正対する。本社は、諏訪神社に対して「上の宮」と称される。

生島足島神社上社

 

池中に立つ本社(写真上)に対して、正対して建つのは諏訪神社(写真下)になります。

本社の「上の宮」に対して、諏訪神である建御名方富命を祀る諏訪神社は「下の宮」と呼ばれています。

生島足島神社下社

生島足島神社朱印

 

 

 

北向観音 

 

北向観音(きたむきかんのん)は、上田市の別所温泉にある天台宗の寺院です。
近隣 にある天台宗
常楽寺が本坊であり、その伽藍の一部になります。

山号は北向山、本尊は千手観音菩薩になります。

北向観音入口

 

寺の案内によりますと、北向観音は北向きに建立され 千手観音菩薩を本尊として現世利益を願い、また長野の善光寺は
南向きに建立され、阿弥陀如来を本尊として未来往生を願います。
現在や未来の片方だけですと片詣りと言われおり、両方をお詣りしたほうが良いと言われているそうです。

創建は天長二年(825)、慈覚大師円仁によって開かれた寺だそうです。下は、本堂になります。

北向観音本堂

 

観音堂に隣接する温泉薬師瑠璃殿は火災の後、江戸時代の文化六年(1809)に再建された建物になります。

北向観音瑠璃殿

愛染明王を本尊とする愛染堂の近くには、縁結びの霊木として崇められて“愛染カツラ”の巨木(写真下)があります。

北向観音愛染カツラ

 

いただいた御朱印には、観音様のいらっしゃるお堂「大悲殿」と書かれていました。

北向観音朱印

 

 

常楽寺

北向観音の本坊である常楽寺は、北向観音堂が建立された天長2年(825年)、三楽寺(常楽寺、安楽寺、長楽寺)
の一つとして建立された寺だそうです。

常楽寺入口

常楽寺は天台宗の別格本山であり、本尊の妙観察智弥陀如来は、全国的にも珍しい宝冠を頂く阿弥陀様だそうです。

常楽寺本堂

本堂の前には、樹齢300年を超えるという「御船の松」が、低く、広く存在感を放っています。

常楽寺松

 

北向観世音が出現した所に建つという石造多宝塔は、高さ2m85cmの安山岩で出来ており、国の重要文化財に指定
されています。

 

多宝塔の右側には、同じ石造りの五重の多層塔が建っています。

常楽寺石塔

いただいた御朱印には、本尊の「妙観察智弥陀如来」が書かれていました。

常楽寺朱印

 

 

安楽寺

 

安楽寺(あんらくじ)は、常楽寺から300メートルほどの上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院です。
山号は崇福山、本尊は釈迦如来になります。

安楽寺山門

安楽寺参道

 

創建年などは不詳のようですが、長野県で最古の禅宗寺院になるそうです。

 

下は、本堂になります。

安楽寺本堂(正)

 

 

境内奥の山腹に建っている八角三重塔は、国宝に指定されています。日本に現存する近世以前の八角塔としては
唯一のものだそうです。

安楽寺三重塔

 

いただいた御朱印には、「本尊釈迦如来」が書かれていました。

安楽寺朱印

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