楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

東京 南千住・入谷・東上野 御朱印めぐり
地域:

東京 素戔嗚神社・千束稲荷神社・入谷鬼子母神・下谷神社 御朱印めぐり

 

この記事では、南千住にある素戔嗚神社、三ノ輪駅近くにある千束稲荷神社、さらには入谷の鬼子母神、
東上野にある下谷神社を巡る御朱印めぐりを紹介します。

 

 

素戔嗚神社

 

 

素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)は、南千住駅から徒歩5分ほどの荒川区南千住にある神社です。
祭神は、素盞雄大神(すさのおおおかみ)、飛鳥大神(あすかおおかみ)になります。

 

 

 

 

 

社の由緒によりますと開祖は修験道の役小角の高弟になる黒珍(こくちん)、創建は延暦十四年(795)になるそうです。

 

 

 

 

本殿の近くには、松尾芭蕉の「奥の細道」旅立ちの記念碑(写真下)があります。

 

 

 

 

「千じゅといふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別のなみだをそそぐ。

『行く春や鳥啼き魚の目は泪』

これを矢立の初めとして、行く道なお進まず。」は奥の細道の一節です。 これから奥深い陸奥に向かう心細さが感じられる一節です。

芭蕉のお姿付きで御朱印をいただきました。

 

 

 

 

千束稲荷神社

 

 

千束稲荷神社は、台東区竜泉二丁目にある祭神に倉稲魂命を祀る稲荷神社です。

 

社の創建は不詳ですが、寛文年間(1661~72)と推測されています。

 

 

 

 

 

千束稲荷神社は、樋口一葉の“たけくらべ”に、当社の祭礼が舞台となり、主人公の『美登利』をはじめ子供達が
遊んだ神社として知られています。

 

境内左手には、一葉の胸像が建立されていて、下部にある碑文には「明日ハ鎮守ナル千束神社ノ大祭ナリ・・・・・・」
と“たけくらべ”の一節が記されています。

 

 

 

 

 

子ども時代が過ぎ去り、これから遊女として廓に入る宿命を持った美少女、美登利のせつない初恋が哀れに、
思い出された次第です。そして、無念にも24歳の若さで亡くなった一葉のはかない生涯に、思わず手を合わ
せずにいられない千束神社でした。

 

 

 

 

入谷鬼子母神

 

鶯谷駅から徒歩5分、下谷神社から昭和通りを15分ほど歩いた入谷の交差点近くにあるのが入谷鬼子母神堂です。

江戸時代の天明期を代表する文人であり狂歌師、太田南畝(別号;蜀山人)の狂歌の中に「恐れ入谷の鬼子母神、
どうで有馬の水天宮、・・」としゃれ言葉がある様に、江戸時代からひろく崇拝されていた鬼子母神と言えると
思います。

「あたり前田のクラッカー、恐れ入谷の鬼子母神、その手は桑名の焼き蛤」などのしゃれ言葉も、寄席やテレビ
で耳にした良き昭和の時代の想い出です。

 

 

いただいた御朱印にも、ちゃんと『恐れ入谷の鬼子母神』としゃれ言葉が、押されていました。

 

 

 

 

下谷神社

 

下谷神社は、鳥越神社の北西およそ1.5キロ、上野駅から徒歩5分、地下鉄銀座線稲荷町駅から徒歩2分程度の
台東区東上野にある神社です。

古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれていたそうで、地下鉄の駅名“稲荷町”にその名を残しているそうです。

 

 

祭神は“大年神”と“日本武尊”です。

大年神は素盞雄尊の子で「五穀を主宰し厚く産業を守護し給う神」、一般に『お稲荷様』と親しまれている神様です。

社の由緒によりますと創建は、天平2年(730)と古く、峡田の稲置などが“大年神”と“日本武尊”の2神を上野忍ヶ岡の
地に舞ったのが始まりだそうです。

 

 

拝殿には、横山大観が描いた“龍”の天井画があります。渦巻く風雲の中に踊る龍の姿が生き生きと描かれています。
なおこの天井画は、下谷神社のオリジナル御朱印帳に実物に近いイメージで描かれています。

 

境内には、寛政十年(1798)、当社の境内で江戸で初めて寄席が開かれたそうで、『寄席発祥の地』の
石碑が建てられています。

毎年5月に行われる「下谷神社大祭」は、千年以上の歴史を持ち、近隣町内を渡御する本社神輿は台輪幅4尺
1寸の千貫神輿といわれ、大きな威容を誇るものだそうです。

 

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