楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

鳥取市内 御朱印めぐり

宇部神社、白兎神社、摩尼寺、観音院、大雲院  鳥取市内 御朱印めぐり  

 

この記事では、鳥取市内にある宇部神社、白兎神社、摩尼寺、観音院、大雲院などをめぐる御朱印めぐりを紹介しています。

 

白兎神社  

 

白兎神社(はくとじんじゃ)は、鳥取市白兎にある「因幡の白兎」で知られる白兎海岸に面した神社です。

 

 

下の写真は、参道から見た白兎海岸になります。

 

 

祭神には、「因幡の白兎」である白兎神を祀っています。
神話に伝わる「サメに赤裸にされて、八十神の命で海塩を浴びて真っ赤に腫た白兎を、大国主命が助けられた」という
内容から皮膚病に霊験のある神として、また大国主命と八上姫神の仲を取り持ったことから縁結びの神としても信仰を
集めている神社です。
国道9号線沿い、白兎海岸の沖、100メートルほどの所には、白兎がいたとされる淤岐島が浮かんでいます。淤
岐島から気多ノ前(岬)の間には、ちょうど白兎に騙され、背中を並べたサメのようにも見える岩場が続いています。

 

 

白兎海岸から続く参道の途中には、白兎が傷口を洗い、蒲の穂をぬって赤裸な皮膚を治したという伝わる霊池
「御身洗の池」があります。

 

 

下の写真は、白兎神社になります。

 

 

 

 

宇部神社  

 

宇部神社(うべじんじゃ)は、鳥取市国府町宮下にある因幡国一宮になる神社です。
主祭神は、武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)になります。武内宿禰命は、第12代景行天皇から16代仁徳天皇まで、
日本の統一に尽力され、わが国初の「大臣」の称号を授かった神になるそうです。
360余歳の長寿であったことから長寿の神とも言われています。

 

 

社の由緒によりますと、創建は孝徳天皇大化四年(648)になるそうです。

下の写真は、拝殿になります。現在の社殿は明治時代に再建されたものになります。

 

 

拝殿の奥が本殿になります。

 

 

本殿裏の小高い丘には、祭神聖天の遺蹟と言われる「双履石」があります。

 

 

 

 

 

摩尼寺  

 

摩尼寺は、 鳥取 市覚寺にある天台宗の寺院です。山号は喜見山、本尊は帝釈天になります。
また千手観音を安置していて、中国三十三観音霊場の特別霊場になっています。
門前町を抜け、石段を登っていきます。

 

 

 

途中に仁王門があります。

 

 

そして本堂前に、山門があります。

 

 

本堂には、本尊の帝釈天と千手観音が安置されています。

 

 

いただいた御朱印は二つです。 一つは、本尊の「南無帝釈天王」と書かれていました。

 

 

二つ目は、中国三十三観音特別霊場としての「千徳殿」になります。千徳殿は、本堂の名称になります。

 

 

 

観音院  

 

観音院は、鳥取市上町にある天台宗の寺院です。山号は補陀落山、本尊は聖観世音菩薩で、中国三十三観音霊場の
32番札所になっています。

 

 

 

観音院庭園は池泉鑑賞式の庭で、国の名勝に指定されています。

 

 

いただいた御朱印には、「大悲殿」と書かれていました。

 

 

 

大雲院  

 

大雲院は、鳥取市立川町にある天台宗の寺院です。

山号は乾向山、本尊は阿弥陀三尊、そして千手観音菩薩になり、中国三十三観音霊場の33番札所、結願の寺になります。

 

 

本堂には、丈六の阿弥陀三尊や千手観音菩薩、並びに西国三十三札所の観音様三十三体が安置されています。

 

 

元三大師堂には、厄除け大師の元三慈恵大師が祀られています。

 

 

いただいた御朱印には、「大慈殿」と書かれていました。

 

 

 

長田神社  

 

長田神社は、鳥取城址に近い鳥取市東町にある、祭神に事代主神 猿田彦神、誉田別尊、菅原道真を祀る神社です。

 

 

 

創建年などは不詳とのことですが、この地の産土神として、久松山の山麓に神社を建立したことに始まるとされ、
古くから”長田大明神”と呼ばれ、尊崇を集めていたそうです。

下の写真は、本殿になります。

 

 

 

 

興禅寺  

 

興禅寺は、鳥取市栗谷町にある黄檗宗の寺院です。山号は龍峰山になります。

 

 

寺の縁起によりますと、沿革は古く、天正年間に池田輝政が岐阜城主の時代に長男の追善のために「龍峰山広徳寺」を
建立したのに始まるそうです。 寛永九年(1632)、鳥取池田家初代藩主池田光仲が岡山から鳥取に転封となったおり、
この地に移ったようです。
元禄七年(1694)、光仲の逝去に伴い「龍峰山興禅寺」と改称し、鳥取藩主の菩提寺として栄えてきたようです。
下の写真は、本堂になります。

 

 

久松山系の丘陵を生かして築山された書院前の庭園は、蓬莱山水・池泉鑑賞式の庭で、江戸時代の作庭になるそうです。

 

 

書院庭園の西の隅にある灯籠は、十字架の彫刻が見られることから「キリシタン灯籠」と呼ばれています。

 

 

いただいた御朱印には、「大雄宝殿」と書かれていました。

大雄宝殿とは、本尊釈迦如来を安置するお堂の呼称になり、京都の万福寺をはじめ黄檗宗のお寺では、よく使われます。

 

 

 

玄忠寺  

 

玄忠寺(げんちゅうじ)は、鳥取市新品治町にある浄土宗の寺院です。正式名称は、大唐大巖深心山九品院玄忠寺になるそうです。

 

 

創建は永正五年(1508)になるそうです。   現在の本堂は、焼失後、文化二年(1805)に再建されたものになります。

 

 

鍵屋の辻の決闘で知られる剣豪、荒木又右衛門の菩提寺で、境内にはお墓(写真下)と共に、遺品館が設置されています。

 

 

いただいた御朱印には、荒木又右衛門菩提所「羅漢堂」と書かれていました。

玄忠寺の庫裡には、高木百拙筆の多数の羅漢の襖絵があり、羅漢堂としても知られています。

 

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