楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

浜名湖 湖北五山・舘山寺 御朱印めぐり

大福寺・摩訶耶寺・方広寺・龍譚寺・宝林寺・舘山寺 御朱印めぐり    

 

この記事では、浜松市にある“浜名湖 湖北五山”といわれる大福寺・摩訶耶寺・方広寺・龍譚寺・宝林寺そして
舘山寺をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。

 

大福寺  

 

大福寺は、浜松市北区三ケ日町にある高野山真言宗の寺院です。山号は瑠璃山、本尊は薬師如来坐像になります。
創建は貞観十七年(875)、教侍上人が開創し、鎌倉時代の初めに大福寺と改称されたお寺です。
仁王門が入口になります。

下の写真は、本尊の薬師如来が安置されている本堂になります。

大福寺で作られる“大福寺納豆”で有名です。この納豆は室町時代から寺に伝わる納豆で、徳川家康の好物でもあった
そうで、家康が「浜名納豆」と命名したそうです。 室町時代から生き続ける納豆菌で自然発酵した糸を引かない乾い
た豆にうまみが凝縮した納豆です。製造販売は11月から冬場になるとのことです。  

いただいた御朱印には、「薬師如来」が書かれていました。

摩訶耶寺  

摩訶耶寺(まかやじ)は、浜松市北区三ケ日町にある高野山真言宗の寺院です。山号は大乗山、本尊は
厄除正観世音菩薩になります。寺の歴史案内によりますと、摩訶耶寺は古くから厄除けの寺として知られ、
袋井の法多山、祝田の善明寺の観音様と三姉妹観音で、その長女が摩訶耶寺の本尊になるそうです。
創建は神亀三年(726)、聖武天皇の勅願により僧行基によって新達寺として開創されたのが始まりだそうです。

本堂は寛永九年(1632)に建立されたものだそうです。

庭園は平安末期から鎌倉初期の日本の中世庭園を代表するもので、座視鑑賞式池泉庭になります。

いただいた御朱印には、「正観音」と書かれていました。

方広寺  

方広寺は、浜松市北区引佐町奥山にある臨済宗方広寺派の大本山になる寺院です。 山号は深奥山、本尊は
釈迦如来になります。   創建は建徳二年(1371)、この地の豪族奥山朝藤の開基により、無文元選禅師に
より開かれた寺になります。この地が、無文元選禅師が訪れた中国の天台山方広寺に似ていることから寺名
が付けられたそうです。
寺の入口には、大正時代に建てられた三重塔がそびえています。

下の写真は、三重塔の近くから見た境内になります。奥山の雰囲気一杯の境内です。

本堂は、明治の終わりから大正時代にかけて竣工された間口32メートルの大きな木造建築物です。

本堂の裏には、五百羅漢の石像があります。

本堂に向かい左手には開山堂、その隣には鎮守半僧坊大権現を祀る半僧坊真殿(写真下)が建っています。

半僧坊は、無文元選禅師が中国からの帰国の途中、海上で難破の危機に直面した折、“半僧坊”の力によって海難を
免れたという故事にちなんで祀られています。なお”半僧”とは、半分”僧”ということのようです。 厄除け、商売繁盛
などの祈願所として信仰を集めているそうです。  
いただいた御朱印には、「奥山半僧坊」と書かれていました。

龍譚寺  

龍譚寺(りょうたんじ)は、浜松市北区引佐町井伊谷にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は万松山、
本尊は虚空蔵菩薩になります。   創建は天平五年(733)、僧行基によった開かれた寺と言われています。
平安時代からずっと江戸末期の彦根藩主井伊直弼につながる井伊家の菩提寺であったそうです。

山門は明暦二年(1656)に建立されたものです。

本堂は延宝四年(1676)に再建されたもので、廊下は左甚五郎作の鴬張りとして知られています。

本堂の裏にある庭園は、小堀遠州作と伝えられ、国の名勝に指定されています。

下の写真は、本堂の前庭になります。

いただいた御朱印には、「虚空蔵佛」と書かれていました。

宝林寺  

宝林寺は、浜松市北区細江町にある黄檗宗の寺院です。山号は初山、本尊は釈迦如来になります。
創建は寛文四年(1664)に、旗本の近藤家の菩提寺として開創された寺になるそうです。
山門から境内に入ります。

寛文七年(1667)に建てられた仏殿(写真下)は、黄檗宗伝来初期の中国明朝風様式を現代に伝えるもので、
国の重要文化財に指定されています。正面「宝林禅寺」の扁額は、黄檗宗の開祖、隠元禅師の書になるそうです。

方丈(写真下)は、正徳六年(1716)の建立で、仏殿と同様に国の重要文化財に指定されています。

いただいた御朱印には、「萬徳尊」と書かれていました。萬徳尊とはお釈迦さまの別名になります。

舘山寺  

舘山寺(かんざんじ)は、浜名湖の北岸、浜松市西区舘山寺町にある曹洞宗の寺院です。山号は秋葉山、
本尊は虚空蔵菩薩になります。 創建は弘仁元年(810)、空海によると伝えられています。 舘山寺という
寺名は、舘山(たてやま)に開かれた寺であることから命名されたそうです。

寺の案内によりますと、明治の初めの神仏分離令によりいったん、廃寺となりましたが、明治二十三年
(1890)に再興が認められ、現在の浜松市天竜区春野町にある秋葉山・秋葉寺(しゅうようじ)の住職
であった牧泰禅和尚を招請し、秋葉寺の出張所を持ってくる名目で再興したそうです。その時に山号は、
秋葉山に変え、真言宗の伝統を引き継ぎながら曹洞宗の祈願寺として今日に至るそうです。

本堂内の左手(写真下)には、秋葉山信仰の中心であった“秋葉三尺坊大権現”が鎮守として祀られています。
三尺坊は戸隠の生まれで蔵王権現堂の十二坊のうちの一つを三尺坊と名付け、そこに住んで精進を重ね、
神変したお坊さんで、大同四年(809)に秋葉山に舞い降り、以降秋葉山で入寂する永仁二年(1294)まで
450年以上にわたり諸国を遊行して人々を救ったと伝えられているお坊さんです。とりわけ大火から人々
を救った伝承が多かったこともあり、人々に「火伏せ の神さま」として信仰されているそうです。

いただいた御朱印には、「秋葉三尺坊大権現」と書かれていました。

本堂から3分ほどで登れる山頂には、美顔で有名な身の丈10メートルの大観音があります。

大観音に登る途中には、弘法大師空海が舘山寺を建立された時に仮堂として使った古墳“穴大師”があり、
弘法大師が自ら刻んだという石像が安置されています。

下の写真は山頂展望台から見た奥浜名湖、東名高速道路の風景です。

ページトップ