楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

成田市内 御朱印めぐり

新勝寺・東勝寺・龍正院 成田市内御朱印めぐり

成田市は千葉県北部に位置し、東京成田国際空港や成田山新勝寺などで有名ですが、古くから成田山新勝寺、
東勝寺宗吾霊堂の二大霊場を有する門前町として発展してきたところです。
この記事では、成田山新勝寺、勝寺宗東吾霊堂をはじめ坂東三十三観音霊場の一つである龍正院をめぐる成田
市内三寺の御朱印めぐりを紹介しています。

新勝寺

新勝寺は、真言宗智山派の総本山で山号が成田山になります。
JR成田駅、京成成田駅から北へ歩いて10分程度で行くことが出来ます。

成田のお不動様と呼ばれるように本尊は不動明王、歌舞伎の成田屋・市川團十郎、海老蔵など多くの人々が江戸
の昔から参詣する霊場です。
特に、市川團十郎は成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなど
もあって、成田不動は庶民の信仰を集めるようになり、成田山詣でが盛んになったということです。

家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多く、初詣には日本第2位となる300万人近い参拝客
が訪れる関東有数の寺院です。
護摩祈祷とは不動明王の前に炊かれた御護摩の炎の中に、護摩木と呼ばれる薪を入れ願い事が叶うよう、清めな
がら祈ることを言います。護摩祈祷とは弘法大師により伝えられた、真言密教秘伝の修法になるわけです。

 
開山は天慶2年(939)、平将門の乱平定の為、朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正が、弘法大師自らが刻眼したという
不動明王像を持って関東に下り、成田の地で戦乱が鎮まるよう御護摩を焚いて祈願されたのが始まりと言われています。
またその時に、「新たに勝つ」ということで、新勝寺と名付けられたそうです。

境内は驚くほど広く、新旧のさまざまな建造物が並んで、庶民の信仰の場の雰囲気を残しています。
また境内の東側およそ半分は成田山公園になっています。
伽藍は江戸中期~末期の建築が多く、特に仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂、光明堂の5棟が国の重要文化財に指定されています。

境内の入口に立つのは総門です。総門は、平成18年(2006)に、開基1070周年記念事業として建てられたものです。

仁王門は、参道から大本堂へ至る急な階段の途中に建つ入母屋造の八脚門で江戸時代の建立になります。

仁王門をくぐり、石段を上りきった正面に建つのが本尊不動明王像を安置する大本堂になります。
現在の本堂は1968年に建てられたものです。

こちらでは、成田山本尊の“不動明王”の御朱印がいただけます。

大本堂左手の広場に建つ入母屋造の仏堂が釈迦堂になります。この釈迦堂は、安政五年(1858)に建てられた
旧本堂になります。

釈迦堂には、釈迦如来や観音菩薩などが奉安されていますが、こちらでは“釈迦如来”の御朱印をいただくことが出来ます。

釈迦堂前の高台には、出世稲荷が佇んでいます。
こちらのお稲荷さんは、古くから「出世稲荷」と呼ばれ、商売繁盛、開運成就、火伏せの御利益があると厚く信仰
されているそうです。

こちらでは、「荼枳尼天尊」の御朱印をいただくことができます。
荼枳尼天尊(だきにてんそん)は、白狐に乗る天女の姿で現れる仏教の神様です。日本では稲荷信仰と習合し、
寺院の稲荷鎮守社では荼枳尼天尊を本尊として祀っているところが多いようです

因みに参拝は、合掌、一礼になります。

釈迦堂からさらに先に進むと一段高いところに入母屋造の仏堂、光明堂があります。
この建物は、元禄十四年(1701)に建てられた旧・旧本堂になります。

光明堂には、愛染明王や大日如来などが祀られていて、“大日如来”の御朱印をいただくことが出来ます。

境内北奥には、昭和59年建立の真言密教の象徴である“平和の大塔”(高さ58m)が存在感を持ってそびえています。
平和の大塔は、真言密教を象徴する塔で、中にはこの塔の本尊の不動明王も安置されています。

平和の大塔でも御朱印をいただくことができます。
御朱印は、墨刷毛で書かれた立派なものです。本尊の不動明王を表す梵字で「カンマン」と書かれているようです。

また平成30年になるそうですが、平和の大塔の隣には、薬師如来を本尊とする“薬師殿”の建立が予定されています。
現在平和の大塔の1階には、離れた地にある薬師堂の本尊である“薬師如来”が十二神将などと共に、仮安置されています。
こちらで、「薬師如来」の御朱印をいただくことができます。

東勝寺 宗吾霊堂

東勝寺は成田市宗吾にある真言宗豊山派の寺院です。山号は鳴鐘山、本尊に義民、佐倉惣五郎を祀っていることから、
宗吾霊堂と呼ばれています。

寺の案内によりますと、創建は今からおよそ1000年前、桓武天皇の時代に坂上田村麻呂が戦没者の供養のために開い
た寺になるそうです。ちなみに新勝寺は、東勝寺より新しいということでその名がつけられたとも言われています。

本尊に祀られている佐倉惣五郎は、今から350年前、佐倉藩の暴政に苦しめられていた領民を救うために、
4代将軍徳川家綱へ直訴し、その罪により処刑された日本を代表する義民です

東勝寺の澄祐和尚により、惣五郎の遺骸は刑場跡(仁王門に向かって右前)に埋葬され、墓(写真下)が建

てられています。

処刑の後、佐倉藩はその失政を悔い、堀田正亮公は宗吾道閑居士の法号を諡号し、以来、惣五郎は宗吾様と呼ばれるようになったそうです。
境内にある御一代記念館(写真下)には、佐倉惣五郎の生涯を、人形66体13場面の立体パノラマで解説されて
いますので、立ち寄られるとよいかと思います。

現在の大本堂は、明治時代に火災により焼失、大正時代に建立されたものになります。

いただいた御朱印には、「宗吾尊霊」と書かれていました。

龍正院

龍正院は、成田市滑川にある天台宗の寺院です。山号は滑河山、本尊は十一面観世音菩薩で坂東三十三観音霊場の
28番札所になっています。
寺の案内によりますと、老僧が近くの小田川で救い上げ、飢餓に心を痛め観世音に祈願していたという城主将治公
に差し出したところ、天候が回復し五穀が実るようになったという本尊は、一寸二分の小さな十一面観世音だそうです。
後に定朝作と言われる一丈二尺の観音像の胎内に納められ、通称“滑河観音”と呼ばれています。
なお創建は、承和五年(838)、慈覚大師円仁の開基になるようです。

茅葺きの仁王門は、1500年ごろに建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

現在の本堂は、元禄九年(1696)、徳川綱吉の寄進により再建されたものだそうです。

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