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御朱印めぐりの旅

愛知県 豊川稲荷界隈 御朱印めぐり

豊川稲荷・賀寺・大恩寺 御朱印めぐり

この記事では、愛知県豊川市にある日本三大稲荷の一つ豊川稲荷、そして財賀寺、大恩寺の
御朱印めぐりを紹介しています。

豊川稲荷 (妙厳寺)

豊川稲荷は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院です。山号は圓福山、本尊は千手観音になります。
境内に祀られる鎮守の稲荷“豊川吒枳尼眞天”が稲穂を荷い、キツネにまたがっていることから
「豊川稲荷」が通称として広がったそうです。

豊川稲荷は神社ではなく寺院であり、信仰対象は「稲荷」と通称されてはいるものの、稲荷神
そのものではなく、インド仏教の女神、“吒枳尼天”を祀っているわけです。

なお豊川稲荷は、京都の伏見稲荷、茨城県の笠間稲荷神社、佐賀県の祐徳稲荷神社などと並び
日本三大稲荷の一つに数えられています。

境内には、明治時代に建てられた入母屋造、唐破風付きの四脚門の総門から入ります。

豊川稲荷総門

次は入母屋造楼門である山門になります。山門は天文五年(1536)に建立されたもので、
豊川稲荷では最古の建造物になります。

豊川稲荷山門

山門を入った正面に位置するのが本尊の千手観音を安置する本堂、“法堂”になります。
現在の法堂は、江戸時代の終わり、天保年間に再建されたものになるそうです。

豊川稲荷法堂

本殿に向かっては、神社ではないものの、参道には立派な鳥居が立っています。

豊川稲荷鳥居

法堂に向かって左手奥には、信仰の中心になっている吒枳尼天を祀る重厚感ある本殿があります。

 豊川稲荷本殿

本殿から奥の院に至る境内には、奉納された「千本のぼり」が建っています。

 豊川稲荷奥の院門

奥の院は、江戸時代の文化十一年の建立で、元は本殿の拝殿であったものだそうです。

豊川稲荷奥の院

奥の院からさらに進むと、信者の方が奉納した狐像を安置されている「霊狐塚」がお稲荷さん
の風情を作っていました。

豊川稲荷狐塚

いただいた御朱印は二つになります。

一つは本殿の御朱印、こちらには「豊川吒枳尼眞天」と書かれています。

豊川稲荷稲荷朱印

二つ目は本堂の御朱印、こちらには本尊の「千手観世音菩薩」と書かれています。

豊川稲荷本尊朱印

財賀寺

財賀寺は、豊川市財賀町にある高野山真言宗の寺院です。山号は陀羅尼山、本尊は千手観音
になります。

寺の由緒によりますと、創建は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により、僧・行基によって
開創されたお寺だそうです。

源頼朝が平家討伐を祈願、そのお礼として八間四面の本堂ならびに仁王門を再建したそうです。

現在ある仁王門は、室町時代に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
両側には、東大寺の南大門にある仁王像に次ぐ大きさの金剛力士像が存在感を持って立っています。

財賀寺山門

本坊までは、車で登ることが出来ます。本坊の隣には文殊様をお祀りするお堂、文殊堂があります。

 財賀寺文殊堂

本堂までは、階段や山道を300mほど登っていきます。

財賀寺参道

途中の慈晃堂のには、「修行弘法大師像」が建っています。

財賀寺修行弘法大師

本堂は江戸時代の終わりに建てられたもので、本尊の千手観音菩薩が安置されています。

財賀寺本堂

いただいた御朱印には、「大悲殿」と書かれていました。

財賀寺朱印

大恩寺

 大恩寺は、豊川市御津町にある浄土宗の寺院です。山号は御津山、本尊は阿弥陀如来になります。

創建年は不詳とのことですが、牛久保城主の牧野氏の菩提寺であり、徳川家ともゆかり深い
名刹になるそうです。

大恩寺入り口

山門は、江戸時代初期の寛文十二年(1672)の建立です。

大恩寺山門

大恩寺には、国の重要文化座に指定されている朝鮮高麗の仏画とみられる「絹本著色王宮曼荼羅図」
が収められています。

 大恩寺本堂

いただいた御朱印には、本尊「阿弥陀如来」と書かれていました。

大恩寺朱印

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