楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

鹿島神宮・香取神宮・鳥栖神社 東国三社御朱印めぐり

鹿島神宮・香取神宮・鳥栖神社 御朱印めぐり

東国三社参りは、江戸時代にお伊勢参りに次いで広く親しまれていたもので、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の茨城県と千葉県にまたがる三つの神社を巡ることを言います。三つの神社が「東国三社」呼ばれるのは、それぞれに祭られる武甕槌(タケミカヅチ)大神、経津主(フツヌシ)大神、天鳥船(アメノトリフネ)神の三柱の神が、天照大神に天界から派遣されて、地上を譲るよう大国主命に迫った「国譲り」神話に由来しています。

なおこの三社を線で結ぶと直角二等辺三角形ができ、その中では不思議なことが起こるという噂もあるそうです。

鹿島神宮

鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市にある神社で、武甕槌(タケミカヅチ)神を祭神とする常陸国一宮になります。
社伝によりますと創建は皇紀元年(紀元前660年)といわれ、関東最古の神社になります。

天孫降臨に先立ち、大国主命と国譲りの交渉をしたといわれる武甕槌神、武の神として古くから皇室や
藤原氏の崇敬を受け、さらに鎌倉期以降は武家政権の信仰を得てきた神様です。
武術の道場には、現在でも香取神宮と共に「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって
掲げられていることが多いようです。

鹿島神宮拝殿・楼門

社殿は元和5年(1619)、徳川秀忠より奉納されたもので、桃山期の極彩色が鮮やかだそうですが、
参拝時は修繕中で見ることはできませんでした。
拝殿から幣殿・石の間・本殿と一列に奥へ続きますが、いずれもが国の重要文化財の指定を受けています。
写真に写っているのは、拝殿になります。

鹿島神宮拝殿

本殿が北向きに建てられていますが、これは武神の霊力を蝦夷地、東北地方に及ぼすためだそうです。
楼門は、寛永11年(1634)、徳川頼房の奉納によるもので「日本三大楼門」の一つに数えられていて、
緑の中に朱色がひときわ鮮やかでした。
なお、楼門にかかっている「鹿島神宮」の扁額は東郷平八郎元帥の直筆によるものだそうです。

鹿島神宮楼門

本殿から、200メートルほど参道を進んだところに奥宮があります。奥宮は、慶長10年(1605)に
本殿として奉納された建物だそうで、厳かなたたずまいを見せています。

鹿島神宮奥宮

奥宮からさらに300メートル入った所には要石があります。要石は、地震を起こす大なまずの頭を
押さえているといわれる霊石です。

鹿島神宮要石

いくら掘っても全容を堀り尽くせないといわれ、“鹿島の七不思議”にも数えられています。

鹿島神宮朱印

 

息栖神社

 

息栖神社は、茨城県神栖市にある神社で、祭神に、岐神(クナドノカミ)、相殿に天鳥船神
(アメノトリフネノカミ)、住吉三神を祀っています。

「天鳥船神」は国譲りの際、「武甕槌神」を出雲の国に先導した神様です。

「岐神」は、出雲の国譲り後、東国へ向かう「武甕槌神」の道案内として、大国主命が派遣した神様です。

息栖神社は、鹿島神宮の摂社になりますが、厄除け招福の神体を主体としていて、また航海・交通の
神様でもあります。

創建は、第15代・応神天皇の御代と伝えられますが、詳細は不明だそうです。
境内には日本三霊水の一つの忍潮井(オシオイ)と呼ばれる清水があります。

息栖神社本殿

いただいたご朱印の右下には、『参拝記念』の印が押されていました。
これは、昭和の初めに天皇陛下の名代として訪れた三笠宮さまから、参拝記念としていただいた
水晶印による印だそうです。

鳥ス神社朱印

 

香取神宮

 

香取神宮は、千葉県香取市にあり、祭神は経津主(フツヌシ)神、上総国一宮に列せられる神社です。
明治以前に「神宮」の称号を与えられていたのは伊勢、香取、鹿島のみというわが国屈指の名社です。

経津主神は、鹿島神宮の祭神である武甕槌(タケミカヅチ)神とともに、天孫降臨に先立って国土を
平定したとされる武神であり、武術の道場には『鹿島大明神』『香取大明神』と書かれた掛け軸が掲
げられているところが多いそうです。
また現在でも必勝祈願や合格祈願などに訪れる人も多いということです。

香取神社参道

香取神宮入口

香取神宮が鎮座する亀甲山は香取の森と呼ばれ、12万3千㎡に及ぶ広大な境内に老杉がうっそうと
茂っています。

神殿の裏側は、桜の名所として知られています。また楼門の前にある桜は、徳川光圀の手植えと伝え
られているものです。

香取神宮光圀桜

香取神宮楼門

上の写真は、楼門になります。

本殿・中殿・拝殿が連なる権現造の社殿は、鹿皮のような色をした桧皮葺の屋根に黒塗りの姿が美しい
建物だそうですが、残念ながら参拝に訪れた時は修繕中で拝観はできませんでした。

香取神宮朱印

ページトップ