楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

鎌倉 北鎌倉から大仏・長谷寺 御朱印めぐり
地域:

鎌倉大仏・長谷寺・東慶寺・浄智寺・銭洗弁天 御朱印めぐり

 

鎌倉ハイキングコースの定番、北鎌倉から源氏山を越え大仏に至るコースです。
今回は北鎌倉駅前の駆け込み寺、東慶寺をスタート、源氏山公園から銭洗い弁天へ降り、佐助稲荷神社を通り大仏へ、そして長谷寺、さらには極楽寺まで、都合3時間半かけて歩いてきました。

 

東慶寺

 

横須賀線の北鎌倉駅を降りるともうここは、遠い鎌倉武士の世、“無”や“空”の禅文化
ただよう別天地、ここでまず駆け込んだのが、徒歩三分の東慶寺です。
東慶寺は北条時宗夫人山尼により、1285年に開山された臨済宗円覚寺派のお寺です。
山号は、松岡山、本尊は釈迦如来になります。

 

東慶寺

 

明治に至るまで、男子禁制の尼寺で、女性から離婚請求のできなかった封建時代
駆け込み寺、縁切り寺
として、多くの女性を救ったことで有名なお寺です。
そういえば、受付や松が岡宝蔵、売店の方などすべて女性の方でしたが、その名残
かもしれません。この宝蔵には、聖観音立像の他に、多くの離縁状など縁切関係の
古文書が収蔵されており、縁切寺の歴史を伝えています。

“東慶寺花暦”によりますと、のどかな雰囲気の漂う境内には四季の花が咲き、北鎌倉
の人気スポットになっているそうです。今回訪れたのは一月末、ボケの赤い花と枝
いっぱいに柔らかそうなつぼみをつけた三椏だけを写真に収めてきました。

 

東慶寺ボケの花

 

東慶寺みつまたの花

 

御朱印には、鎌倉観世音第三十二番“聖観世音菩薩”と書かれています。これは、
宝蔵に安置されている重要文化財“聖観世音菩薩立像”を表しています。

 

東慶寺朱印

 

 

浄智寺

 

東慶寺からおよそ400メートル、案内板に沿って源氏山(大仏)方面に向かうと、
そこは鎌倉五山の寺格4位、浄智寺の参道になります。

 

浄智寺山門

 

 

山門をくぐると静かなたたずまいの中、二階に鐘を下げた楼門が見えてきます。

 

浄智寺門

 

浄智寺は臨済宗円覚寺派のお寺で開山は1281年、本尊は、阿弥陀如来、釈迦如来、
弥勒如来の三世仏で、それぞれ過去、現在、未来の三世に配当します。
いただいた御朱印には、『曇華殿』と書かれています。これは本尊を安置している
仏殿の名前になります。

 

浄智寺朱印

 

浄智寺は、鎌倉で谷戸と呼ばれる谷合に境内があり、長い歴史を持つ閑寂なたたずまい
が印象的な寺院です。裏庭にある、背をかがめて通らねばならない小さな隊道を抜けると、
洞窟に弥勒菩薩の化身と言われる“布袋尊”の像が見えてきます。
ちなみに布袋さんのお腹をさすると福が授かるそうで、私もご多分にもれず大きなおなか
をそっとなでさせていただきました。

 

浄智寺布袋さん

 

 

葛原岡神社

 

浄智寺から源氏山公園までは登山道を進みます。木の根道を登っていくとおよそ20分で、
葛原岡神社が鎮座する源氏山公園に到着します。
アップダウンが結構あり、雨が降った直後などは、足を滑らしかねない山道ですので、
気をつけられるとよいと思います。

 

源氏山ハイキングコース

 

なお、山道を登って来たご褒美か、葛原岡神社の近くからは、写真のように少し
大きめの富士山がくっきりと見えてきて、ここで一服となります。

 

源氏山公園からの富士

 

源氏山公園の一角にある葛原岡神社は、御祭神に『日野俊基』を祀る神社です。
日野俊基は、後醍醐天皇の側近であり、1331年、後醍醐天皇の下で『建武の中興』
と呼ばれる北条氏討滅計画を進めますが、これが幕府に発覚、日野俊基は京から鎌倉に
護送され、幕府の刑場であった当地、葛原が岡の地で「秋をまたで 葛原岡に消ゆる身の
露のうらみや 世に残るらむ」と呼んで、最期を迎えています。

 

葛原岡神社本殿

 

なお、葛原岡神社は“縁結び、恋愛成就”を願う若い女性の参拝が多い神社でも知られてます。
当社のご祭神の一つは、 大黒様で 良縁の神様になります。御神体の木像は 二宮尊徳邸内の
楠木で作られたと伝えられる由緒あるものだそうです。
また境内には、「男石」「女石」の二つが“縁結び石”として祀られています。

 

葛原岡神社

 

葛原岡神社朱印

 

 

銭洗弁財天(宇賀福神社)

 

葛原岡神社からは、大仏ハイキングコースを外れ、舗装道路を南へ下ると5分ほどで、
銭洗弁天に到着です。通り沿いにある鳥居で一礼、岩山をくり抜いた30メートルほ
どの隊道を抜けると、かまくら隠れ里、銭洗弁財天宇賀福神社になります。

 

銭荒井弁天入口

 

巳年にあたる文治元(1185)年の巳の月、巳の日に、頼朝が夢の中で宇賀福神から
「西北の仙境に湧き出している水を汲んで神仏を供養すれば天下が平和になる」と
のお告げを聞いたそうです。
頼朝は、お告げにそってこの泉を探し当て、この水で神仏をお祀りしたと伝えられています。

奥宮の洞窟内の湧き水は「銭洗水」と呼ばれ、鎌倉5名水の一つに数えられ、
いつのころからか、この霊水で銭を洗うとお金が増えると信じられるようになり、
特に巳の日は賑わっているそうです。頼朝伝説にある己巳日(つちのとみまつり)は、
とりわけ参詣者が多いそうです。

 

銭洗い奥宮の洗い亜場

 

ちなみに、私も、持参したすべての硬貨を備え付けのざるに入れしっかりと
“銭洗い”して帰ってきました。

 

銭洗弁天朱印

 

 

佐助稲荷神社

 

銭洗弁天を出て、南西へ500メートルほど、鎌倉大仏に向かう途中にあるのが
佐助稲荷神社です。本殿へ続く階段にならぶお稲荷さんのシンボル、赤い鳥居が目印です。

 

佐助神社

 

“佐助”のいわれは、頼朝が、伊豆で流人生活を送っていた時、頼朝の夢の中に佐助稲荷
の神霊が現れ、源氏の旗揚げの時を告げてくれたそうです。当時、佐殿と呼ばれていた
頼朝を助けたということで“佐助”という名がついた
ようです。頼朝が平家を追討し征夷
大将軍までのぼりつめたことから、別名「出世稲荷」ともよばれているそうです。

佐助神社いなり像

大仏ハイキングコースにつながる本殿の左側の道端には、無数の古い稲荷の像が残り、
「かまくら隠れ里」の幽玄な雰囲気が漂っていました。

 

佐助稲荷朱印

 

 

鎌倉大仏(高徳院)

 

佐助稲荷の裏山から大仏ハイキングコースに出て大仏に至る道もありますが、今回は、
佐助稲荷から一般道を南下、徒歩20分ほどで鎌倉大仏のある高徳院に到着です。

 

鎌倉の大仏様

 

高徳院の本尊であり、鎌倉大仏として親しまれている阿弥陀如来座像は、台座を含め高さ
13.4メートル、重さ約121トンの銅像です。製作は、建長4年(1252)から始まり、
約10年の歳月を経て造立されたとみられています。
東大寺の大仏殿と同じように、創建当時は、像を納めていた仏殿があったそうですが、
14世紀に大風で損壊し、15世紀以降、仏殿は再建されていないそうです。
いただいた御朱印には、“本尊阿弥陀如来”“かまくら大佛殿”と書かれています。

 

鎌倉大仏朱印

 

また大仏の裏手には、「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす
夏木立かな
」と詠んだ、与謝野晶子の句碑が建てられています。

 

大仏与謝野晶子歌碑

 

 

長谷寺

 

鎌倉大仏から南へおよそ500メートルにあるのは、『長谷観音』として知られる長谷寺です。

 

長谷寺

 

長谷寺は、聖武天皇の時代、天平8年(736)に開かれた鎌倉有数の古刹です。本尊の
十一面観音菩薩像は、像高9.18メートルにも及び、日本最大級の木彫り像です。
こちらの縁起によりますと、当山の十一面観音菩薩像は、奈良の長谷寺の開山である徳道
上人の本願に基づき、二人の仏師によって楠の巨木から造形された2体の観音像の一つと
いう言い伝えがあるそうです。
一体は奈良の長谷寺に、残る一体は、有縁の地における衆生済度の請願を込め海中に奉じ
られたそうです。それが相模の国の洋上に顕われ、鎌倉長谷寺の開創の礎になったそうです。

 

長谷寺本堂

 

いただいた御朱印には、“十一面大悲殿”と書かれています。十一面観世音菩薩様がいらっ
しゃるお堂ということになると思います。

 

長谷寺朱印

 

長谷寺は、鎌倉八景のひとつに数えられる景勝地であり、境内の見晴らし台からは、
由比ヶ浜や相模湾を一望できます。
また、アジサイの名所として有名で、毎年6月には長蛇の列ができる程です。
下の写真は、6月の長谷寺の境内です。

 

長谷寺あじさい1

 

浄土を思わせる庭園も素晴らしいものがあり、本堂に向かって右隅には、岩山を掘って
作られた弁財天を祀る弁天窟もあります。弁天窟の壁面には、弁財天や十六童子が彫り
込まれていますので忘れずにお参りされるとよいと思います。

 

長谷寺弁天窟の弁天様

 

弁天窟の手前には、愛くるしい大きなこけしのような“和み地蔵”がたたずんでいます。

 

長谷寺なごみ地蔵

 

また境内では、湘南の陽光を受けて、透明感ある蝋梅(写真下)の黄色い花が
ほころびはじめていました。

 

長谷寺蝋梅の花

 

 

成就院

 

長谷寺から南へ進み、江ノ電の長谷寺駅を越え、右に向かって極楽寺方面へ進むと
右手に虚空蔵菩薩が祀られている“虚空蔵堂”が見えてきます。
虚空蔵堂でお参りし、極楽寺に向かう切通しを歩いていくとすぐに見事なアジサイ
で有名な成就院が見えてきます。
ちなみに、この虚空蔵堂は、成就院所有の堂だそうで、御朱印も成就院でいただけます。

 

成就院こく蔵朱印

成就院は、1219年、北条泰時により、本尊に縁結び“不動明王”を祀り建立されたと
言われます。境内にも、不動明王の像があり、この日もカップルで記念写真をとる人の
姿がありました。

 

成就院不動明王

 

成就院の御朱印にも”不動明王”と書かれています。

 

成就院朱印jpg

 

眼下に由比ヶ浜を望む108段の階段の両側に、般若心経の文字数と同じ262株の
アジサイが、元寇の役の供養のために植えられているそうです。

 

成就院由比ヶ浜

 

6月のあじさいのピーク時には、最寄りの極楽寺の駅まで紫陽花見物の観光客の
行列が続くほどのにぎわいになるそうです。この年のアジサイは、深剪定のため
か例年になく小ぶりで少し残念でした。

 

成就院あじさい2

 

 

極楽寺

 

成就院を出て、200メートルほど歩き、江ノ電が下を走る朱色の橋を渡れば、
極楽寺に到着、山門が見えてきます。

 

極楽寺

 

極楽寺は真言律宗の寺院で、山号は霊鷲山(りょうじゅさん)、本尊は釈迦如来になります。
開基は北条重時で、当時死体が放置されていたりして地獄谷と呼ばれていた地に創建された
寺院だそうです。開山は忍性になります。
いただいた御朱印は、本尊の“釈迦如来”と書かれています。

 

極楽寺朱印

 

1259年の創建ですが、最盛期の極楽寺は、七堂伽藍に49の子院があった大寺院であり、現在でもこの付近の地名は“極楽寺”と称されています。

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