楽しい御朱印めぐり

珍しい御朱印

教え言葉入り 御朱印めぐり
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寺社でいただくご朱印の中には、神社名や本尊名ではなく、寺社に伝わる教えやそこで大切にされている考え方を簡潔な言葉で記した御朱印をいただける所があります。この記事では、その中からいくつかを紹介しています。

 

 

久遠寺 (山梨県)

 

久遠寺は、山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の総本山になる寺院です。
久遠寺は、日蓮聖人が晩年の九年間を法華経の読誦と弟子たちの指導に明け暮れた場所であり、
聖人の遺骨を心霊とともに祀っている日蓮宗の聖地でもあります。

弘安5年(1282)、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず山を下り、
常陸の国に向かいましたが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上(東京都大田区)にて61年
の生涯を閉じられました。
日蓮聖人の遺言「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」に従い、遺骨は身延山に
祀られることになったそうです。

 

久遠寺三門

 

山門(写真上)からまっすぐに進み、急こう配の長い階段を登りきった平坦なところに本堂(写真下)や
五重塔などの主要堂宇が立ち並んでいます。

 

久遠寺本堂

 

久遠寺奥の院は、ここから離れた身延山山頂(1153m)にあります。奥の院へは、急こう配のロープウェイで登ります。
登山道を徒歩で登ると2時間半ほどかかる所をロープウェイでは7分ほどで登ることが出来ます。

日蓮上人は、この急な登山道を風雨をいとわず登られ、ご両親を偲んだといわれますが、そのすごさに驚くとともに
頭の下がる思いです。 思親閣はその山頂にあり、仁王尊像を祀る仁王門が境内を守護しています。

 

久遠寺思恩閣仁王門

 

 

奥の院でいただいた御朱印には、『育恩之峰』と記されています。風雨をいとわず身延山山頂に登られ、
安房小湊のご両親を偲んだと言われる聖人の「親の恩に感謝することが人間の基本である」というお考え
が伝わってくる御朱印です。

 

久遠寺奥の院朱印

 

 

地蔵院  (京都)

 

阪急電車嵐山線上桂駅から西へ徒歩13,4分の所にあるのが地蔵院です。
地蔵院は、臨済宗の寺院で山号は衣笠山、本尊は地蔵菩薩です。

周囲が竹林で覆われていることから、竹の寺と呼ばれ、静かなひっそりとしたたたずまいが印象的なお寺です。

 

地蔵院庭

 

創建は応安元年(1368)、室町幕府の武将細川頼之によるもので、開山は夢窓疎石と言われています。
一休禅師が、幼少のころに修行をされた寺として知られています。

本堂(地蔵堂)には、細川頼之や夢窓疎石の像も祀られているそうです。

 

地蔵院本堂

 

いただいた御朱印には、“本来無一物”と書かれていました。
これは、「都会育ちと田舎育ち、富む者と貧する者などと区別して見がちですが、人間、
本来は“裸一貫”皆同じ」ということを表しているようです。

 

地蔵院朱印

 

 

瑠璃光院 (京都)

 

瑠璃光院は、八瀬大原にひっそりとたたずむ数寄屋造りの建物と庭、特に見事な紅葉で有名です。
出町柳駅から叡山電鉄に乗ると、叡山電鉄の終点、八瀬比叡山口駅に15分ほどで到着、瑠璃光院
には高野川にかかる写真の橋を渡り、川沿いを5分ほど下れば、まもなくです。

瑠璃光院は、正式には無量寿山光明寺瑠璃光院といいます。
浄土真宗東本願寺派の寺院で、岐阜に本山があり京都本坊になっています。

そもそも八瀬の地は、672年に起こった壬申の乱で傷を負った大海人皇子(天武天皇)が“八瀬の釜風呂”で
傷をいやしたと伝えられる所で、平安貴族や武士たちに安らぎの里として愛されてきた所だそうで、
こちらに庵が建てられていたそうです。

 

瑠璃光院額

 

瑠璃光院は、その庵を基に、大正末から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に、数寄屋作りの建物を建設し、
また八瀬の谷あいの自然を使った庭を造営、日本情緒あふれる、名庭として知られるようになりました。

 

瑠璃光院庭

 

いただいた御朱印には、“攝取心光常照”と書かれていました。

 

瑠璃光院朱印

 

この言葉は、浄土真宗の開祖、親鸞聖人のお言葉です。
攝取の心光、常に照護したもう」と読むことが出来ると思います。
「弥陀の救いとはどういうことか、弥陀の慈悲の心は常に我々を護っていてくれる
」と言う
浄土真宗の教えと思います。

 

 

妙本寺  (神奈川県)

 

妙本寺は、鎌倉駅から東へ徒歩5分程度の鎌倉市大町にある日蓮宗の本山、霊跡寺院になる寺院です。
山号は長興山、日蓮聖人が現在の池上本行寺の地で亡くなる際に枕元に掛けられたとされる
“十界曼荼羅”を本尊としているそうです。
下の写真は、本堂前にある赤門になります。

 

妙本時赤門

 

寺の由緒によりますと、妙本寺は日蓮聖人を開山とし、日蓮宗最古の寺院になるそうです.
開基は、北条氏により滅ぼされた比企能員の子で比企熊本、一族の菩提をともらうために日蓮上人に
比企氏の屋敷を献上したのが寺の始まりになるそうです。下の写真は、本堂になります。

 

妙本寺本堂

 

いただいた御朱印には、“蓮華在水と書かれてあります
“蓮華在水”とは、
「如蓮華在水」という法華経にある言葉です。 蓮は、濁った水の中にあってもそれに
染まることなく、澄んだ美しい花を咲かせます。
それと同じように、妙法を持った人は、どんなに汚れた世の中であっても清く正しい道を進んで行ける、
そのような教えになるようです。

 

妙本寺朱印

 

 

松陰神社 (山口県)

 

松陰神社は、東萩駅から徒歩20分程度の萩市椿東にある神社で、吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)こと
吉田松陰を祭神として祀る神社です。

 明治23年(1890)、吉田松陰の実家、杉家の人々により吉田松陰の霊を祀る土蔵造りの祠が建られたのが
松陰神社の前身だそうです。
そして明治40年(1907)、伊藤博文と野村靖が中心となり、この祠を公のものとして創建することを県に請願、
県社の社格として創建がなされたそうです。

 

 松陰神社本堂

 

境内には、吉田松陰が維新をリードする多くの人材を育てた『松下村塾』が、昔のままの姿で残っています。

 

 松下村塾

 

また境内には、安政6年(1859)、安政の大獄により捕われ江戸に護送される時に詠まれたという
親思ふこころにまさる親ごごろ  けふの音づれ何ときくらん」という歌が刻まれた石碑も建てられていました。

 

 松陰歌碑

 

いただいた御朱印には、“至誠”と書かれていました。至誠とは「きわめて誠実なこと、その心」を意味します。

 

写真 松陰神社

 

「至誠にして動かざるものは、いまだこれあらざるなり」(至誠をもって動かすことが出来ないものはこの世にはない、
誠なしでは動かせるものではない)という孟子の教えを自分の信念として貫き通して処刑された吉田松陰、
その至誠の心が現代の私たちの心まで動かしているように思います。

 

 

瑠璃光寺(山口県)

 

瑠璃光寺は、山口市香山町にある曹洞宗の寺院です。山号は保寧山、本尊は薬師如来になります。

瑠璃光寺は、14世紀の末に大内義弘が現在の場所に建てた香積寺という寺が前身になるそうです。
義弘は応永の乱(1399)を起こし足利義満に敗れ戦死しましたが、弟の大内盛見が義弘の菩提を
ともらうために五重塔の建設を始め、塔は嘉吉二年(1442)頃に完成したそうです。

 

その後、毛利氏の時代になりましたが、その毛利氏は、関ヶ原の戦いで敗れ、萩に移封されます。
その時、香積寺も一緒に萩に移転ということになりましたが、五重塔は解体を免れ、香積寺の跡地には、
現在の山口市仁保高野にあった瑠璃光寺が移ってきて五重塔も管理することになったそうです。
瑠璃光寺は、現在では「西の京」山口を代表する観光名所になっています。

 

瑠璃光寺五重塔

 

 瑠璃光五重塔3

 

いただいた御朱印には、“無心”と墨書きされています。
わだかまりのない清い心」を説いているのかと思います。

 

瑠璃光寺無心

 

 

法隆寺 (奈良県)

 

JR法隆寺駅からほぼまっすぐ北に20分ほど歩くと、法隆寺に到着します。

法隆寺の縁起によりますと、聖徳太子と推古天皇が、寺の建立による病平癒を願っていた
先帝・用明天皇の遺志を継ぎ、607年に薬師如来を本尊に創建したのが法隆寺の始まりになります。
飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。

 

法隆寺山門

 

建造物としては、本尊を安置する飛鳥時代に建てられた威風堂々とした金堂(聖徳太子のために造られた
金銅釈迦三尊像、太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像などを安置)や聖徳太子
を供養するための殿堂として建てられた夢殿(秘仏救世観音像を安置)、また飛鳥時代に建てられた日本最古
の五重塔など境内には、国宝がずらりと並んでいます。

 

法隆寺五重塔

 

 いただいた御朱印には、十七条の憲法の第一条『和を以て尊しとなす』と墨書きされていました。

 

法隆寺朱印

 

 

東大寺 大仏殿

 

東大寺は、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が民衆を救済するために華厳宗の教えを基に大きな盧遮那仏を
造ることを考え、建立した華厳宗の大本山となるお寺です。

東大寺は、「奈良の大仏」として知られる盧遮那仏を本尊とし、開山は良弁僧上になります。

この大事業を推進するには幅広い民衆の支持が必要であったため、朝廷から弾圧されていた行基を大僧正
として迎え、協力を得て造り上げたことが知られています。

 

東大寺の入り口は、“南大門”になります。

 

東大寺南大門

 

大仏殿にふさわしく、わが国最大の山門です。門の左右には、運慶と湛慶の作である阿形、吽形の金剛力士
立像が安置されています。

南大門をくぐれば、正面に見えるのが、大仏殿になります。

 

大仏殿

 

大仏は台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の
作だそうです。

 

大仏

 

こちらでいただいた御朱印には、瑠璃光寺と同じように『無心』と書かれています。

 

東大寺無心朱印

 

”無心”とは、「一切の煩念を離れた心」と言われます。人生で背負っている荷物をすべて降ろし、何の

とらわれもない清浄な心を言うわけです。ただ”心が無い”空虚な状態をいうのではなく、自然体でなん

でも受け止められるけがれのない心持を言うのだとおもいます。

 

 

法輪寺  (京都)

 

法輪寺は、JR嵯峨野線円町駅から徒歩3分程度の下立売通り沿いにある臨済宗妙心寺派の寺院です。
創建は享保十三年(1718)、本尊は釈迦如来になります。

法輪寺には、三国最初随一といわれる“起き上がり達磨”をはじめ、奉納された八千体にも上る達磨が
祀られていて、通称「達磨寺」と呼ばれ親しまれています。

インドに生まれた達磨大師は、西暦527年に中国に渡り、小林寺において手も足もなくなったといわれる
ような忍苦の修行をされ、禅宗の開祖になっ
たそうです。

日本においては、この達磨大師の「貧禍厄病を転じ福を得ん」という精神を、七転八起の起き上がり
達磨に姿を変え、日本独特の達磨に発展したのだそうです。

法輪寺によりますと、「七転八起」は、倒れても転んだ力の大きさで自力で起き上がる力、自然体で
苦にもめげず楽にもおごらない、この姿が達磨の本質だそうです。
法輪寺は、この起き上がり達磨運動の根本道場だそうです。

達磨堂には、起き上がり達磨をはじめとした数多くの達磨が祀られています。

 

法輪寺達磨堂

 

本堂の隣にある衆聖堂の天井(写真下)には、樋口文勝の筆により達磨が描かれていて、賛として『不倒』と

書かれています。

 

 法輪寺衆聖堂内

 

 

いただいた御朱印には、達磨の教え「不倒」と書かれていました。

 

法輪寺朱印不倒

  

 

黄梅院 (京都)

 

黄梅院は、京都市北区柴野にある臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺の塔頭の一つです。

黄梅院は、永禄五年(1562)に織田信長が父信秀の供養のために建立した寺院です。
本堂や庫裏は重要文化財 に指定されています。庫裏は禅宗寺院のものとしては日本最古級のものになるそうです。

 

 

千利休により造られたという 「直中庭」と呼ばれる池泉式枯山水庭園などがありますが、写真撮影は 不可になっています。
下の写真は、写真撮影が許されている入口近くの庭になります。

 

訪れたのが11月の中旬、いただいた御朱印には、見開きで「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ  人世の姿 写すが如くに」と書かれていました。裏になり表になってひらひらと舞い落ちるもみじ、 いいことも悪いことも、喜びも悲しみもそれが人生、全て受けとめてきれいに朱に染まったもみじの ような最後を迎えたいものです。

 

 

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出来ると思います。

なお、一般的には、蛇腹式で40ページか60ページのものを選ばれるとよいと思います。

 

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